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2013年08月05日09:20

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フィクションの中へ(3)  民話は宿命を祈る

 日本にやって来たラフカディオ・ハーンが、松江中学に赴任する道中から民話や祭りや墓地など民俗の取材が始まる。正確に言えば来日したその日からだったが、なにしろ記者なので。汽車で行けるのは山陽線の駅までで、そこから人力車で中国山地を越え鳥取県から松江へ向かったのである。だからこそ取材ができたのだが。
 鳥取の宿だったと思うのだが、押し入れの中から「兄さん寒かろ、お前も寒かろ」と聞こえてくるので、開けてみたが布団があるばかりであった。調べてみるとその蒲団は、両親を亡くした幼い兄弟が、兄さん寒かろ、お前も寒かろ、と慰め合いながら死んだものであった、という話を聞く。ハーンはいたく感動し、日本人の優しさが現れている、というのである。
 確かに、哀れで悲しい話であった。しかし、どこが日本人の優しさなのだろうか。その声を聞きつけた人によって救われたという話なら分かるのだが。

 以前の日記で、小泉八雲を扱った山田太一「日本の面影」を紹介したことがある。八雲の「耳なし芳一」で、和尚さんが目の見えない芳一のところへ平家の亡霊が来ないようにお経の文句を全身に書く場面がある。山田太一は晩年の八雲に、あれは間違いだった。芳一は亡霊を避けたのではなかったのだ、と言わせている。
 私には山田太一の気持ちがよくわかる。亡霊の、ゴーストの気持ちが分かっていたはずの八雲が、何故、平家物語を、つまり自分たちの滅亡の物語を聞きたい、との願いを拒絶させたのだろうか。女官たちは聞きながら泣くのであったが。・・・それに、泣くことになるような話を聞きたいのだろうか? 長年、不可解であった。

 思うに、蒲団の民話も芳一の話もモチーフは同じだ。どうにもならない、ならなかった悲しみがあった。これからもあるだろう。その時、人にできるのは、その悔やみをもって祈るだけなのだ。
 芳一の場合、平家の亡霊たちに平家物語を聞かせてやれなくなった。これが悔やみなのである。確かに、和尚さんの恐れたことがおきて、亡霊にとり殺されたかもしれない。しかし、亡霊たちの悲しみの心を踏みにじったという悔やみは残るのである。
 従って、山田太一の改変は浅はかであった。だいたい、物語の上で亡霊が救われても何の意味もないではないか。

 日本人は民話の形で祈っている、これがハーンの確信であり、松江で小泉八雲と改名した動機に違いない。

  

 

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