mixiユーザー(id:34218852)

2013年04月10日08:21

178 view

ただいま犬と散歩中(へび、むかで、かえるの活躍した時代)

 今朝のネットで朝日新聞をみると、男体山の二荒神社(つまり、日光)の御神体の蛇を復元して祭っている写真が載っていた。男体山の蛇神が、おとなりの赤城山の百足神と戦場が原で戦って勝ったのだと言う。戦場が原は奥日光だから百足神が攻めてきたのを蛇神が撃退したということだろう。戦場が原の由来でもあるのか? なんでこんな湿地が戦場なのか不審だった。写真で見ただけで行ったことはないのだが。

 神の宿る神聖な山。その山の神とは蛇であり、百足なのだ。そういえば、近くの筑波山はがま蛙である。ここの夫婦神の本性ががま蛙だったのか? なぜがまなのかずっと不審だった。確かに、この地に引っ越してきた時、がまが出て行ったことがあった(よくない兆候だった?)。その時は、がまが多いからかと漠然と思ったのだが。

 で、思うに神社以前の古い信仰が山そのものだったというのは知っていたが、その本性が動物神だったのだと、今気がついた次第である。
 さらに、神社正面の注連縄である。これが蛇をかたどったものというのは定説だろう。ということは、いろいろな動物神のなかで蛇神が主神の地位にあるということでないのか。先日の日記にも書いたが、出雲では海蛇の干したのを祭っている。神無月に全国の神様が出雲に集まる。その出雲で待っているのは海蛇神であった。確かに、蛇が、海蛇神が主神に違いない。

 一方、稲荷神社は狐である。こちらも多い。蛇神によく対抗している。

 西遊記は孫悟空がいろいろな動物の妖怪を退治し、その本性を現した動物を観音様などが仏弟子として引き取ってゆく。つまり、古来の動物神信仰が仏教に変わってゆくと言う物語であった。孫悟空は猿なのだが、本性は石、つまり自然神である。ちなみに「封神演義」はもっと露骨で、仙人が多すぎると言うので、人間仙人が動物や石の仙人を退治してゆく物語である。仙人のリストラだった。日本でも明治になって小さい集落ごとにあった神社を廃止・統合するというので、南方熊楠が反対運動を起こし、神社のリストラは途中で止まったとのことである。
 日本でも俵の藤太の百足退治やスサノオのヤマタノオロチ退治の伝説・神話があった。

 奈良の大神神社(おおみわ神社)には神殿がなく、三輪山そのものが御神体という最も古い神社の形を残したものとのことだったが、三輪山の神様の本性は何だったのだろうか?
4 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2013年04月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930