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2013年01月27日13:14

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時代の中で(76)  日本辺境論

 内田樹「日本辺境論」新潮新書2009 を今頃になって終わりまで読んだ。前半の辺境人批判である「1.日本人は辺境人である」が迫力がある。後半は、辺境人のプラス評価になるのだが、あまりよく理解できない。著者は武道家でもあり、その実践や経験からの論述もあるのだが。ということで、ここでは前半部分を中心に見てゆくことにする。

 最初に依拠している何人かの論者からの引用をみておく。まず、梅棹忠夫「文明の生態史観」である。梅棹論文は知っているので、本書からでなく私の視点でまとめてみると以下のようになる。
 文明は3つのゾーンに分けられる。中心に大文明がある。ヨーロッパではローマ帝国。その周縁部は、いつも大帝国に荒らされて文明の一貫性がない。そして海を隔てた外縁部、本書に言う辺境にイギリスがある。この位置は、大帝国の侵略を免れて、しかも必要な文明を手に入れられる好条件をもっている。東アジアでは、それぞれ中国、韓国、日本となる。この梅棹論文が1957年に発表された時、驚きを持って迎えられたのは、敗戦での劣等感にとらわれない探検家の自由な目で、日本はイギリスになれると示唆したことにあると思われる。

 次は丸山真男。「日本文化のかくれた形」岩波現代新書2004で、日本文化を音楽でたとえて、「主旋律は大陸から・・・明治以後はヨーロッパから来た外来思想・・・それがそのままひびかないで、低音部に執拗に繰り返される一定の音型にモディファイされ・・・」ということで、この「執拗低音」に日本文化がある、とする。

 三人目は川島武宜。「日本人の法意識」では「理性から出発し、互いに独立した平等な個人のそれでなく、全体の中に和を以て存在し・・・一体を保つ(全体のなかに個人の独立・自由を没却する)ところの大和・・・」として日本人の精神構造を提示する。

 四人目はルース・ベネディクト。「菊と刀」では、捕虜となった日本兵がアメリカ軍に協力して自軍の弾薬集積所などを教えてくれるのに驚かされた、とのアメリカ兵の証言を引用して、日本人にはアイデンティティの一貫性が弱く、その場の親密性に流されてしまう、とする。

 引用もたくさんになってきたので最後に山本七平。開戦も意味のない大和出撃も「おまえの気持が分かる」という空気で決定されたというのである。

 さて、著者の内田と引用者の論旨とは分けて考えねばならないだろう。まず、最初に日本は辺境にありと指摘した梅棹の場合、日本文化に一貫性がないとは考えなかったはずである。それは大帝国に接する外縁部のことである。いや、一貫性はあるがそれは主旋律でなく、執拗低音だと丸山に従って著者は述べているのであろう。確かに、著者の専攻する社会・人文科学ではオリジナルな成果は少ないと思う。まして、自然科学の場合と違って世界を席巻したなどという成果はない。最初から英文で外国雑誌に書く自然科学と違って、翻訳の問題もあると思うが。
 思うに、日本文明はまだ説明されていない。早い話が、神話より続く天皇制のもとでの平和(むろん国内だけ)も。いまだに、梅棹が指摘したままの部族連合体である中央アジアやイスラム諸国、ここにこそ、国民としてのアイデンティティが育つことがなかった(部族としてが強い)。卑弥呼の時のままのように見える。天皇制と言う共同幻想の発明者やその理論化に成功した人はノーベル平和賞ものだと思えるのだが。候補の一人は聖徳太子で、和を以て尊しの和とは、氏族間の和であった。氏族内では氏族長(つまり氏の上)の命令があったので。

 第二次大戦での日本軍の振る舞いについては、いろいろ批判があった。ルース・ベネディクトの捕虜のエピソード、山本七平の空気の研究、それと丸山も別のところで指摘していた東京裁判での軍事指導者の弁解とナチスの堂々たる反論の比較(本書の著者も比較している)を再評価しておきたい。
 まず、捕虜の場合であるが既に言われているように東条英機「戦陣訓」の失敗であろう。辺境のせいではない。生きて捕虜になるなと命令されている・・・捕虜になってしまった・・・もう日本に帰れない・・・ここで生かしてもらうしかない。きっとこの捕虜は大多数のように小心で、戦陣訓をお経だと思わず文字通りに受け取っていたのである。
 日本の戦争指導者がまともな論理的な弁明ができず、空気のせいだなどとカミュ「異邦人」みたいなことを言っていた問題であるが、彼らの置かれた位置を考慮するべきであろう。彼等は言ってはならないことを持っていたはずである。つまり欧米諸国からの独立運動との関係である。
 そもそも、革新将校たちは特にイギリスからのアジアの解放をめざして主戦論を主張していたし、当然、日本軍の作戦には現地独立運動家との連携があったはずである。インドネシアのスカルノやビルマ(ミャンマー)のスーチー女史の父アウンサン将軍、それにインドにも。彼らとの関係を漏らすわけにはいかない。それをすれば彼等も戦犯になり処刑されただろう。中国では協力者と見られたらおしまいだった。
 戦後、ネルー首相がパール判事や象のインディラを日本に送ったのもただの善意ではないだろう。
 長くなったが、要するに守るべきは己の度胸と正当性のみだったナチス幹部とは立場が違うのである(むろん、この中には天皇を守ることもあった。テレビドラマでみたが、東条のせいにしておけとの「謀議」があったようだ)。これまでの比較論で立場の問題に言及した論者を見たことはない。

 日本人は理性から出発していない、との川島の論述であるが、確かにフランスのように啓蒙思想やその結果としての大革命を経過していない。フランスは新たな「契約」を結んだのである。アメリカはもとよりである。だから、何事もこの「新新契約」から組み立ててゆかねばならない。暗黙の了解などというものはないのである。

 最後にもう一度辺境の問題。イギリスの場合は大陸諸国のゲルマン民族の一派であった。王族は通婚関係でみな親戚である。日本の場合も、桓武天皇の母親は百済王の王女であったが、ここで関係は途切れている。朝鮮半島の支配者は百済のライバル新羅であったことも影響していたのだろうか。つまり、イギリスと違って日本は文物の交易以外は孤立国家だったのである。

 それにしても、著者が主張するように中心を探してきょろきょろしているというのは、社会・人文系の学者だけではないのだろうか。今は、中心が分からなくなったのである。自然科学の場合は中心となる学術誌はいくつかに決まっている。きょろきょろ探す必要はない。しかし、社会・人文系はそれぞれの国の伝統や革新の中から生まれてくるので、広く注意していなければならないに違いない。
 むろん、著者が言うように自身のアイデンティテイを見つめているという方法もあるだろう。ただ、それは著者の得意とする日本武道の場合に一番言えることのような気がする。もっとも、日本柔道はすっかりウィンブルドン化してしまい、それこそ次の覇者は何処からときょろきょろしているに違いないのだが。
 この著書の欠点をひとつ。せっかく梅棹を最初に引用しながら、後は同じ
位置にあるイギリスとではなくアメリカとの比較が目に付いた。良くも悪くも人工国家といつ始まったのか分からない日本とを比較するのはどうしてだろう。
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