ブックオフで見つけた「一枚の絵」2005.2は「うちの猫隣の猫」だった。ここで評論家の川本三郎が、エッセイ「猫を美しいと見る目」を書いていて、歌川国芳の猫は可愛くないと言い、大仏次郎を引用して「日本人は長く猫を美しいと見る目をもたなかった」との指摘に賛成している。これにはいささか異論がある。
ルノワール 「猫を抱く少女」1887
スタンラン 1859-1928
歌川国芳1798-1861 「其のまま地口猫飼好五十三疋」1848
確かに、ここに例として挙げられているルノワールの猫は美猫である。いつものルノワールだ。しかし、スランタンの猫たちは、可愛くないとされた歌川国芳の模倣であろう。川本は、ここにタコを引きずったり、魚をくわえたりしているから可愛くないというのだ。しかし、国芳は猫のさまざまな姿をかわいいと思ったからこそ、そのすべてを描きつくそうとしたはずである。
ただし、ルノワールと比べるともとより美猫ではない。しかしこれは、浮世絵の美人画と「ミロのビーナス」を比べているようなものだろう。浮世絵の顔は類型的で、名前入りの美人画でも他の美人画と区別がつかない。歌麿は顔や肉体でなくもっぱら着物の模様を描くことに興味があったかのようだ。いわゆる枕絵でも、まったくエロスを感じない。やたらに、写実的なクロッキーといったところだ。そこらにいる男女の体が美しいはずはないのである。ヨーロッパのように神に与えられた理想としての肉体を描く、という目的意識がない。
しかし、幸いなことに猫の場合には、皮膚のたるみや皺などがないために、スランタンと国芳はまったくおなじであろう。多分、川本は猫に魚を持って行かれたうらみがあるに違いない。
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