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2011年04月18日21:19

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小説の中の謎(78)  我が忘れなば

 小沢信男「我が忘れなば」1965 は学生のころに読んだ。題名は主人公がサナトリウムで療養していたときに作った短歌、「この道を泣きつつ我の行きしこと我が忘れなば誰か知るらむ」からとられている。物語の最後の場面で、主人公は円谷選手が走っているところに出くわす。後から別の選手が追ってくる。主人公は「円谷逃げろ」と叫んで走り出す、ということだったと思う。なにしろ、うろ覚えなので。
 円谷でなければ、だめなのだが、円谷は結局追いつかれて、1964年の東京オリンピックは銅メダルだった。それでも大したものだったが、問題は、次のメキシコオリンピックの前に自殺してしまったことである。追いつかれたのだ。小沢信男は予言的だったことになる。
 というところで本題に入るが、この短歌は広い意味での「私小説」の精神というべきものでないだろうか。島尾敏雄「死の棘」は嫉妬に狂った夫人の狂気を描いたものであるが、批評の中には、なぜここまでというものもあったと覚えている。しかし、島尾夫人は結婚前には、人間魚雷で戦死するはずの島尾敏雄にしたがって自殺する決意をしていた人である。その人を狂わせたという自責がこの小説を書かせたのでないのだろうか。
 私小説作家たちは、我が忘れなばの執念を持って執筆していたのでなかろうか。
 フローベルのボヴァリー夫人は私だ、という述懐がある。また、「冷血」に深くはまりこんで狂ったとされるトルーマン・カポーティも、混血児の殺人犯の中に自身をみたのでなかろうか。大江健三郎も広い意味での私小説作家であろう。「個人的な体験」はもちろんだが、他のものもそうなのだろう。本人もそう言っていたと思う。
 斎藤茂吉のように、「あかあかと一本の道通りたり たまきわるわが命なり」と言える人はそう多くはないはずである。
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