mixiユーザー(id:34218852)

2024年02月16日12:24

17 view

フィクションと現実(62) 丸山眞男の日本政治批判

 丸山眞男(1914―1996)
「超国家主義の論理と心理」雑誌「世界」1946年5月号
敗戦が1945年8月なので、まだ半年。ミネルヴァ(つまりアテナ)の梟は飛び立っていないと思えるのだが。
 ここに、ドイツと日本の戦犯の態度を比較して、「土屋は青ざめ、古島は泣き、ゲーリングは哄笑する」と断じた。
 物事を比較するには同じ条件でなければならない。自然科学でこれがあいまいだと研究者失格。ただ、社会科学では同じ条件をそろえるのは難しいのだが。
 ゲーリングはヒトラー側近でナチス党最高指導者の一人だったが、土屋は軍属(民間人)で、古島は中尉だったとのこと。
 ゲーリングと比較するなら東条を初め大臣クラスでなければならないはず。A級で死刑になったのは陸軍大将だが7人。(BⅭ級では920人、ソ連での実態は分からないとのこと)
 丸山は比較の初歩的な原則が分かっていない。これでは馬鹿にされても仕方がないのだが。
 擁護する人たちは、まだ裁判の全貌が分かっていなかったからというのだが、だったらまだ書けないし、まして糾弾できないはずなのである。
 かっては岩波「世界」で、知識人の代表のように言われていたが、1970年の東大紛争の時には、東大の権威でものを言ったり書いたりすると糾弾されたとのこと。

 その後、丸山は日本神話の研究に進み、キリスト教神話では神が主体的に世界を「作った」のに対して、古事記では「うむ」と「なる」であってどこにも責任主体がないとした。
 日本人は天皇制の下、責任をとることがないという。
 丸山は何を根拠にキリスト教神話を基準にしたのか? キリスト絶対がおかしいわけで、だから法王庁が各国の王の上に立つ特殊なヨーロッパ中世になったのだろう。その体制を倒すためにフランス革命などという血の粛清がおきて、ついにはソ連の革命となった。

 むろん無責任の体系などはない。公務員も会社員も責任がある。取締役などオーナーは破産するし、議員なら落選する。
 では天皇自身はどうか? 丸山にとって都合の悪いことに、昭和天皇は敗戦後に全国を行脚した。1946年昭和21年2月から1954年昭和29年8月まで。(1948年12月A級戦犯の死刑執行)ということもあって、昭和30年経済白書は「もはや戦後は終わった」と宣言したにちがいない。(1958年11月。皇太子と正田美智子の婚約発表。先祖への結婚の報告のために皇室の墓地のある泉涌寺に来られた時は泉涌寺の傍の高校生だった)
 GHQやマッカーサーは天皇が民衆からどんな目に会うか注視していたが、天皇はすべて歓迎の波に囲まれていた。そもそも、米軍進駐軍への反感の方が強かったのだと思う。子供たちはジープが投げるチョコレートにつられていたかもしれないが。私もだが。

 今でも、イスラム教は政治の上に立っている。独裁政治の場合だとイスラムより強いのだが、「アラブの春」などで独裁政治が倒れた時にはイスラム教独裁となる。イランが典型だが。
 日本の場合、独裁的だったのは戦時中だけだったし、国家総力戦になる場合、どこでも独裁的になる。


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2024年02月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
2526272829