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2023年07月26日20:47

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浮世の謎(131) 無著成恭「山びこ学校」1951年

 1.無著成恭が90歳くらいで亡くなったとの報道があった。私が子供のころ愛読していたので、ずっと年上だと思っていたが、10歳ちょっと上ぐらいなのが意外だった。ということは、無著氏が教師になってすぐ最初の年の文集作成だったに違いない。

 思い起こせば、最初に「母の死とその後」があって、これが文部大臣賞を受賞していたと思う。父は先に死んでいて、母も中学入学の頃に亡くなったようだ。で、無著先生が今からの田んぼの管理を指示すると、少年は何か心棒が入ったような気がしたと書いていた。
 確かに、するべきことがあった方が日常に戻れるわけで、さすがに先生だと思った。
ところが、ずっと後になって、新聞報道に山びこ学校の少年は成人して森林組合の書記になり、結婚して子供も生まれていたが、早い死を迎えたとあった。

 他の作文は、山で捕まえた兎を料理したとか、みんなで果物とか芋だったかを取りに行ったとか、読んで楽しくなるものもたくさんあった。

 ある少年は、父が「門付け」という呪文を唱えてお金をもらうことで、友達(たいてい農林業の重労働だから)が楽でいいなと言われるけど、仕事は少ないんです。と実際のことを訴えていた。
 あるいは、「お光様」がいいという大人がいるけれども、それは迷信だからと注意するものもあった。
(お光様には京都府綾部市に本部を置く大本教から派生した世界救世教とか手かざしの崇教真光などがいくつかある。私も盛岡駅でバスを待っていた時、手をかざして良いですかと聞かれたことがあるが、高山市へ旅行した時に崇教真光教団の壮大な本部を見た。)

 2.同じころだが、安本末子の日記「にあんちゃん」カッパ・ブックス を読んだ。
北九州の炭鉱夫の一家だと思ったが、題名はすぐ上の兄のことだろうが、あまり登場しなかったが、少しだが兄自身の日記部分もあった。年の離れた兄は炭鉱で働き、姉の方はバーで働くことにしたのか、妹にきれいにしたけど、仕事だからと弁解している様子が書かれていた。
 日記より後のことだが、一家は東京に行って共産党員になったと、多分、新聞に載っていた。

 3.アンネ・フランク「アンネの日記」
 1940年、ナチス・ドイツがオランダを占領したことで、ユダヤ人のアンネ姉妹の一家4人と、ペーターだったか男の子のいる3人の一家が屋根裏の部屋へ隠れ住むことになった。
 日記の出だしは、まだ普通に生活していて、自転車通学のアンネは寄って来る男の子にわざと鞄を落とし、拾ってもらったのをきっかけに、「ありがとう」と行ってしまう技巧を披露していて驚いた。
 屋根裏で暮らしたのは2年ぐらいだったのでないかと思えるが、英国空軍機がドイツ方面へ向かうのを見て、もうすぐ解放されると喜んでいたが、その前に屋根裏の明かりを見られたのだろう、密告されて収容所へ連行された。結局、ドイツ敗戦まで生き延びたのはアンネの父だけだったとのこと。
 映画では、生き延びた父が屋根裏へやって来て、隠してあったアンネの日記を発見するところから始まっていた。
 ところで、アンネの日記の序文には、エリノア・ルーズベルトとあった。大統領夫人に違いなかった。その時は、どういう関係なのか不審に思ったが、アメリカの参戦に反対する意見もあったわけで、アンネの日記はその意味を見せるものでもあった。
日本の太平洋戦争の一端は、アメリカの挑発にあったわけだが、ドイツへの参戦反対の世論を転換させる目的が大きかったのでないか。
 ルーズベルトの前任のフーバー大統領は戦後になっても参戦すべきでなかったとの意見だったようだし。

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