暑いし湿度も高いし、せめて高原を幻視して清涼感をとおもって軽井沢を念じていたのだが、そういえば本格的な高原はスイスだった。
ということでスイスの氷河を彷徨する「水晶」があった。
アーダルベルト・シュティフタ―(1805-68)
短編集「石さまざま」は石頭列伝というべき内容だが、人は頑固であるべきとして、むしろ良い意味で使っている。「水晶」で兄妹が氷河で道を迷ったのも、元はと言えば峠を境にして、付き合ってはならないというタブーを守る二つの村のせいである。兄妹の両親はタブーを破って結婚したので、祖父母に会わせるために子どもだけで峠を超えさせていた。
ゴットフリート・ケラー「緑のハインリッヒ」1855
チューリッヒの職人の息子ハインリッヒは父を失って貧しい暮らしだった。しかし湖のほとりに住む少女に幼い恋をする。別れ際にキスされて恥ずかしいやらうれしいやらの仲だったが、その後少女は亡くなってしまった。
青年になって画家を志しミュンヘンに留学するのだが画家の才能がないと思い知らされ故郷に帰り、役場の勤め人になった。ケラーの自伝的作品と言われている。
エドワード・ウィンパー(1840-1911)「アルプス登攀記」
ウィンパーは英国人で、職業は画家。スイスの風光明媚を描いて欲しいと金持ちから依頼された。スイスが一般に知られてきたわけで、スイスアルプスの登山・観光ブームが始まったのである。それまでは、ハイジに描かれたように、羊に山の草を食べさせて育てる産業しかない貧乏国だった。
ただし、スイスの暗い一面も見ている。登山口にあたる村で精神薄弱の男女の結婚式を見たのである。そこは、わりに裕福なので村人が離れることはなく、代々の血族結婚だったので障碍者が生まれる。その障碍者同士で結婚してますますひどくなるはずだと考えたのである。
ハイジ1880-81
「アルプスの少女ハイジ」は、ドイツ語圏スイス人の作家ヨハンナ・シュピリの児童小説。原題は(ハイジの修行時代と遍歴時代)および続編(ハイジは習ったことを使うことができる)である。
(ゲーテのウィルヘルム・マイステルの修行時代・遍歴時代の影響を受けた児童編というべきもの)
ドイツでもスイスが評判になってきた。フランクフルトの裕福な家だが、病弱な娘のためにスイスで育った純真な娘を遊び相手にしたいという親心を受けて、フランクフルトで家政婦をしているハイジの伯母が嫌がる姪をさらうように連れて行った。姪に教育を受けさせねばという善意だった。
リサ・テツナー「黒い兄弟」1940
著者はドイツ人で、ナチス時代にスイスに亡命した。
本書は19世紀の貧しい時代のスイスを舞台にして、イタリアの煙突掃除夫として売られた少年を主人公にしている。
書かれた時代は一番新しいのだが、かっての過酷な少年労働を描いている。
ということで、スイスの高原も羊飼い時代は貧しかったわけで、その事情は軽井沢でも同じだろう。豊かな時代になって観光客が増えて、さらにスイスの場合は精密産業が立地して豊かになったわけである。
外から見ればきれいだが、住人にとっては不便で苦労もあるわけで。日本で過疎化が進んだのは高度経済成長時代だが、中国山地の場合は記録的な大雪が離村のきっかけになったとのこと。
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