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2022年01月17日12:08

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民主対専制16〜市民革命と独裁者の出現

●近代西欧の民主主義(続き)

・市民革命と独裁者の出現
 自由主義的な民主主義(リベラル・デモクラシー)が形成される歴史は、闘争と流血の過程であり、しばしば独裁者が出現した。
 イギリスでは、古代から中世まで専制主義による王君政治が行われた。しかし、1215年にマグナ・カルタが発布され、国王の専制に貴族や新興階級が抵抗し、権力の行使を制御する約束を取り付けた。だが、国王はしばしば約束を破り、専制主義的な強権政治を行った。そうした国王への反発から、1640年にピューリタン革命が始まった。王党派と議会派が激しく対立し、1642年に内乱状態になった。当初は王党派が有利だったが、議会派から徹底抗戦を主張するオリバー・クロムウェルが台頭した。クロムウェルは鉄騎兵を組織して、王党派軍に圧倒的な勝利を収めた。この戦いは、プロテスタントの一種であるピューリタンが、国王による信仰への弾圧を跳ね返そうとする闘争だった。市民革命が、信教の自由を守ることから始まった事実は重要である。49年に、クロムウェルは、議会の前で国王を斬首刑に処し、共和制を樹立した。クロムウェルは、53年に残部議会を解散し、護国卿となって独裁政治を行った。
 クロムウェルは58年に病没した。すると、長老派が王党派と組み、前王の子チャールズ2世を迎えて、1660年に王政復古が行われた。クロムウェルの個人独裁より、王政の方がましということである。だが、再び国王が王権を乱用し、信仰の自由を規制してカトリック化を推進した。これに反発する勢力が、1688年に名誉革命を起こし、議会を中心とする立憲君主制が確立した。
 こうしてイギリスでは、国王への請願や市民革命を通じて、民衆が権利を守り、自由を拡大するために政治参加を求める自由主義的な民主主義が発達した。その過程で独裁者が現れ、一時的に専制主義に転じた経験を経てきている。
 イギリスの植民地だったアメリカは、国王の圧政に不満が高まり、1776年に独立した。君主制の国家から独立したことで、共和制の国家を建設した。アメリカは、イギリス各地から渡来した移民、ピルグリム・ファーザーズが建国した国である。「独立宣言」は人間の平等をうたっているが、実態は白人男性の平等を宣言したものだった。白人は先住民のインディアンを駆逐し、アフリカから連行した黒人を奴隷とした。それによって、アメリカは征服国家に似た民族間の支配構造を持つ。
 古代ギリシャのアテネでは、ポリスの政治に参加し得る者は、異民族を奴隷として支配する領主民族だった。ファン・デン・ベルへはこれを「領主民族の民主主義」と呼んだ。「領主民族」とは、成員一人ひとりが「領主=奴隷主」であるような民族をいう。「領主民族の民主主義」とは、「領主=奴隷主」のみが政治に参加する民主主義である。アメリカ合衆国の民主主義は、この構造を近代において再現したものである。
 アメリカにおいて民主主義は、白人男性の間のものだった。その後、白人女性にも参政権が広げられた。黒人については、南北戦争後、奴隷解放が行われたが、実質的な差別が存続し、社会的地位の向上は1960年代の公民権運動の高揚まで待たねばならなかった。
 フランスでは、専制主義の絶対王政への反発から、1789年に市民革命が始まった。イギリス同様、国王が処刑されて君主制が廃止され、共和制が実現した。その過程でジャコバン派が集団独裁を行い、独裁者マクシミリアン・ロベスピエールが登場した。ロベスピエールは、ギロチンによる処刑や反対派の殺戮を断行した。周辺の君主制国家はフランス革命の波及を抑えるために干渉した。その危機の中からナポレオン・ボナパルトが登場し、軍事的な天才を発揮して戦争に勝利し、個人独裁の体制を築いた。
 フランス市民革命に強い影響を与えた思想を説いたのが、ルソーである。ルソーは、人民主権を主張して共和制の樹立を主張し、直接民主制の理想国家を提示した。その思想が生んだのが、ロベスピエールとナポレオンだった。
 ロベスピエールはルソーの最大の賛美者であり、徹底した擁護者だった。ルソーは、農業生産を基盤とする直接民主制の小国家を理想とした。ただし、直接民主制は人民の道徳的向上が必要とし、「神々からなる人民」でなければ、不可能であることを示唆した。だが、ロベスピエールはフランスという大国で、人民主権を実現しようとした。その理想を追求して個人独裁を行い、恐怖政治を進めた。ルソーの説く市民的宗教を模して、「至高の存在」を祀る祝典を行った。強大な権力を恣にする独裁者は、激しい反発を受けて敗死した。
 ナポレオンは、若年期における知的形成で、ルソーから最大の影響を受けた。ナポレオンは、民主的な選挙によって終身統領になった。さらに自らの意思で皇帝の座に就いた。君主制を倒して共和制に変わった近代的な国に、古代的・中世的な皇帝が出現した。ルソーは、大国で豊かな国には君主制がふさわしいと説いていた。ナポレオンは、君主制を自らの手で創設し、武力によって自由と平等の理念をヨーロッパ諸国に広めようとした。だが、大戦争の果てに、流刑の地で死んだ。
 クロムウェル、ロベスピエール、ナポレオンは、みな民衆の支持を受けて、個人独裁を行った。市民革命は、国王の圧政への抵抗から起こり、国王の権力を規制または奪取が実現したが、一方では、改革者の中から独裁者が現れてしまった。ここに、いかにして国王または改革者の独裁を防ぐかということが、自由主義的な民主主義の重大な課題となった。
 西欧諸国は、15世紀末からアジア・アフリカ・アメリカ大陸等に植民地を獲得・拡大した。市民革命を経て発達した自由主義的な民主主義は、植民地から富を搾取する本国の国民が自由と権利を享受する制度だった。いわば世界の支配構造の上部を占める支配集団の自由と権利を実現するものだった。上部を占めたのは白人種の諸民族であり、下部には自由と権利を奪われた有色人種の諸民族があった。上部における民主主義か独裁かの違いは支配集団における政治体制の違いであって、上部が下部を支配する構造には変わりはなかった。
 17世紀初め頃から19世紀末頃までの西洋文明は、戦争と革命の時代だった。ローマ法王も神聖ローマ皇帝も統一をもたらす権威足り得ず、ヨーロッパ、次いで北米等で戦争と革命が繰り返された。ドイツ30年戦争、イギリス市民革命、英蘭戦争、英仏植民地戦争、アメリカ独立戦争、フランス市民革命、ナポレオン戦争、アメリカ南北戦争、二月革命、普仏戦争、アジア・アフリカの植民地争奪戦争等である。西洋文明では、こうした戦争と革命の中で自由主義的民主主義が発達し、それが世界に広まることになった。

 次回に続く。

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