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2022年01月07日10:40

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民主対専制11〜専制主義の諸相

●専制主義の諸相

・専制主義における善政と悪政
 専制主義は、集団のうちの一人または少数者が政治参加の権利を占有し、一人または少数者が集団の意思を決定する制度である。その制度を悪しきものと批判する考え方に立つと、専制主義は無条件に否定すべきものとなる。その批判は、しばしば民主主義は進歩的なものであり、人類が普遍的に実現すべきものという価値判断が前提になっている。
 人類の歴史上、ほとんどの社会では、部族の長や国王が権力を掌握し、絶対的な権威を持ち、一人の意思で物事を決めて来た。そうした指導者がいない場合は、その親族や貴族または有力者による少数者の集団が合議で物事を決めて来た。
 古代の世界では、王への崇敬と服従が広く見られた。王は超人的な存在として崇められ、神とも信仰された。そこには、生物学的な基礎が考えられる。霊長類の社会では、ボスが圧倒的な力を持ち、群れを従える。そのボスに当たるのが部族の長や国王だったと考えられる。様々な部族や民族、国家の歴史においては、数は少ないながら民衆の信頼と尊敬を集めた優れた指導者が出現している。そうした指導者は、集団の存続と繁栄、構成員の安全と幸福のために努力し、民衆から称えられ、感謝された。近代社会では、こうした部族の長や国王に代わる者として、国家指導者に期待が寄せられる。もしその国家指導者が民衆の期待に応えることができるならば、民衆の信頼と尊敬を集めることになるだろう。
 それゆえ、専制主義は、それ自体が悪しきものと断定されるべきものではない。専制主義には悪政だけでなく、善政もあり得る。この点は、民主主義について書いたことと同じことが言える。すなわち、民主主義でも専制主義でも、善政と悪政があり得るのである。

・指導者の質
 民主主義をよしとする側は、民主主義は「善」、専制主義は「悪」と考えやすい。だが、事はそう単純ではない。民衆が政治に参加すれば、必ず善政が行われるとは限らない。烏合の衆では、対立・混乱が生じるだけである。
 西欧から近代民主主義が広まる前の世界では、どの文明・国家でも専制主義が行われていた。専制主義の体制にあっても、優れた指導者が統治している場合は、領地・領土の防衛、治水、産業の振興等が行われ、民衆は安全で豊かな生活が出来た。民衆は、民の安全と繁栄を考える領主を敬愛した。優れた指導者が統治していなければ、その地域は、周辺から侵攻・略奪を受け、民衆は不安と困窮にさらされる。何万人の民衆が寄り集まっても、一人の優れた指導者の為すことに替わることが出来ない。
 東アジアでは、指導者が経世済民に努めてきた伝統がある。とりわけ日本では、天皇が民衆の事情を知って政治を行うことに努めた。これを『古事記』では「しらす(知らす・治らす)」という。その反対は「うしはく(領く)」という。領地・領民として支配することをいう。先に民主主義の諸相の最後の項目に、デモクラシーの制度と目的について書いたが、民衆の事情を知って政治を行う「しらす」という態度は、民衆の安寧と幸福の実現を目指すものであり、日本的なデモクラシーということができる。古代から続く皇室制度における統治は、政治参加の権利の所有者と集団の意思決定の仕方においては専制主義だが、民を本とするという政治の目的においては民本主義だった。いわば民本主義的専制主義である。この反対は、君を本とする君主本位の君本主義的専制主義と言えよう。
 神武天皇以来、歴代の天皇の多くは、民衆に仁愛を及ぼす善政を心掛けた。また、それを見習った武士たちも仁政に努めた。源頼朝、北条早雲、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、上杉鷹山等の英傑・名君は、領民の安寧と幸福のために尽くした。彼らの治世は、専制主義の政治だった。だが、今日の民主主義の社会においても彼らは人々の尊敬を集め、国家・企業の指導者の経営の鑑とされている。専制主義の指導者が民主主義の指導者にとっての模範とされている。
 民主主義は、民衆が政治に参加して優れた指導者を選び出す制度である。専制主義は、民衆が関わることなく、世襲・簒奪・禅譲等によって権力を得た者が統治する制度である。いずれにしても、優れた指導者を得ることが出来るかがどうかが課題であり、制度自体に善悪があるのではない。指導者の質に多くがかかっているのである。
 民主主義と専制主義の歴史的な展開については、3の「民主主義と専制主義の歴史」で述べる。また、指導者と民衆の関係については、6の「政治と道徳」で述べる。

・個人独裁と集団独裁
 専制主義の統治には、配慮的統治と独裁的統治がある。配慮的統治は、指導者が民衆の幸福と繁栄に配慮して行う統治であり、指導者が民衆の事情を知ろうとし、民衆の声に耳を傾けて善政に努めるものである。その例を日本的なデモクラシーに見ることができる。体制は専制主義だが、目的はデモクラシーの目的と同じである。これに対し、独裁的統治は、指導者が民衆の事情に関わらず、自分の考えで行う統治であり、政治の目的はしばしば私利私欲の追求となる。日本で言えば、前者は、前の項目に書いた「しらす」、後者は「うしはく」に相当する。
 独裁的統治の形態には、個人独裁と集団独裁がある。
 個人独裁は、古代の世界に広く見られる王君政治(王政・帝政)や中世ヨーロッパの絶対王政を典型とする。現代においては、共産主義国家におけるスターリンや毛沢東の個人崇拝の例がある。彼らはしばしば皇帝に例えられる。
 集団独裁は、古代ギリシャの王政に続く貴族政、フランス革命におけるジャコバン派、旧ソ連や中国における共産党、ドイツにおけるナチス、カンボジアにおけるクメール・ルージュ等の例がある。
 個人的または集団的な独裁は、権力を奪取する革命及び強権的に改革を行う過程において、しばしば発生する。近代の西欧においては、絶対的な権力を持つ絶対君主が国家国民を私物化し、恣意的な政治を行った。これに反抗して市民革命を起こした集団が、自分たちの意志にのみ基づいて強権的な統治を行う集団独裁を行った。また、集団独裁の中から独裁者が現れた。イギリス・ピューリタン革命におけるクロムウェル、フランス市民革命におけるロベスピエール、革命後のフランスにおけるナポレオン等である
 カール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスは、共産主義の階級闘争の理論をもと、プロレタリア−ト独裁を説いた。これは、武力革命によって労働者階級による集団独裁を目指すものである。実際には、労働者階級を代表すると自称する政党が集団独裁の主体となる。ロシア革命において、ロシア社会民主労働党の多数派を意味するボルシェヴィキは、民主的な選挙の結果を無視して、クーデターを行って武力で権力を奪取し、一党独裁を行った。その後、共産党に改称した。
 共産党の支配は、民主主義を標榜する点では統制主義的民主主義であるが、国民の自由と権利は保障されていない。表現の自由すなわち言論・集会・結社・出版等の自由が擁護され、政権への批判が許容されていなければ、実質的な民主主義とは言えない。それゆえ、共産党の支配体制は、本質的に集団独裁的な専制主義である。集団独裁的専制主義は、しばし指導者個人の独裁に転じる。スターリン・毛沢東の個人独裁的専制主義がその事例である。
 民主主義の諸相の項目に、独裁を防ぐ方法について書いたが、専制主義の国家ではそうした方法が発達していないか、機能していない。または、強権的に廃止されている。また独裁を終わらせる方法も欠いている。そのため、専制主義の独裁的統治が悪政を極めた場合、力で倒す外に道はない。その結果が自由主義的な民主主義への移行になるか、新たな独裁者の登場になるかは、権力の奪取を図る主体、及び最終的に権力闘争に勝利する者が誰かによって異なる。

 次回に続く。

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