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2021年05月16日23:22

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仏教153〜ユング

◆ユング

 ユングは、10代後半にショーペンハウアーを読み、『意志と表象としての世界』を通じてインド哲学や仏教に触れた。それが、ユングが東洋の宗教・思想を広く研究するきっかけとなった。
 ユングは、臨床心理学者として患者の治療を通じて深層心理の研究を深め、西洋の錬金術等を心理学的に解釈し、また易や道教、チベット仏教等の東洋思想を西洋に広く紹介した。世界諸民族の神話、民話、宗教、神秘主義、文学、美術等を研究し、宗教や民族・文化等の違いを超えて共通して現れる象徴があることを発見した。そして、個人的無意識の底に、個人を超えた集合的無意識を想定した。「集合的」とは、個人だけではなく、民族・人類などに共通する無意識という意味である。そして、ユングは、夢や精神病者の妄想、神話、宗教、芸術等に共通して現われる主題は、集合的無意識に由来するものだと考えた。
 ユングは精神的な危機にある患者の治療の過程で、しばしば患者の心に、円または4の倍数を要素とする幾何学模様が現れることを発見した。これは外界からの情報とは関係なく、患者の心の中から現れるイメージである。ユングも自らの危機において、同じイメージが自分の心に現れることを体験した。ユングは、そうしたイメージが西洋の神秘主義者の幻視に多く描かれ、チベット密教ではマンダラと呼ばれ、瞑想的修行や儀礼の場などで使われていることを知り、これを自己元型によるイメージと解釈した。
 ユングは、マンダラは人が心の分裂や不統合を経験している時に、それを統合しようとする心の内部の働きの表れとして生じる場合が多い、と報告している。彼が治療に当たった患者の心にマンダラが現れると、心に平静や安らぎがもたらされた。患者の描くマンダラは、患者の心の状態を映す鏡のようなものと考えられた。円または4の倍数を要素とする絵には、人物や動物が現れたり、立体的な構図を持つものもあった。マンダラを描くことで、患者は自分の心を客観視し、心の統合に取り組むことができるようになるのだった。
 ユングは、マンダラの出現は「明らかに、自然の側からの自己治癒の企てであり、それは意識的な反省からではなく、本能的な働きから生じたものである」と述べている。いわば、心の統合を回復しようとする精神的な自然治癒力の働きである。
 マンダラを最も重視してきたのは、インドからチベットに伝わった密教である。解脱や悟りを目指す宗教である仏教では、厳しい修行の過程で修行者がマンダラのイメージを抱くことがしばしばあったのだろう。そのイメージは、幾何学的な構図を持つ荘厳な曼荼羅図に描かれている。密教の系統である真言宗では、胎蔵界・金剛界の両界曼荼羅が有名である。
 仏教では、マンダラのmandaは「真髄」「本質」を表し、laは「成就」を表すとし、マンダラは「真髄の成就」を意味すると解釈されている。そして、曼荼羅図は、悟りの境地を平面に表したものと考えられている。
仏教の側にとっては、ユングの深層心理の研究によって、仏教の象徴の意味や働きや人間の心について、新たな視点から考察することができるようになった。
 ユングは、1930〜40年代の論文を収めた著書『東洋的瞑想の心理』で、チベット密教の『死者の書』や鈴木大拙の禅に関する論考、浄土経典の『観無量寿経』等を論じている。ユングは、鈴木大拙が1934年(昭和9年)に欧米人に向けて英文で書いた『禅学入門』の序文を書いた。また鈴木やその影響を受けた久松真一と親交を結んだ。
 一方、鈴木大拙は、著書『禅と日本文化』で、欧米人に禅の説明を行なう際、ユングをはじめとする深層心理学の理論を活用している。鈴木は、ユングの「集合的無意識(collective unconscious」のほか、「宇宙的無意識(cosmic unconscious」という概念も取り入れている。
 「人間の心はいわば幾層かの意識――二元的に構成されている意識から無意識にいたるまでーーによって作られていると考えうる。第一の層の人が一般に動くところ、ここではなにもかも二元的に組立てられ、分極作用がこの層の原則になる。その下のつぎの層は半意識面であり、ここに貯えられる事物はいつでも必要なとき意識の表面にもたらせられる。これが記憶の層である。第三層は普通心理学者によって定義される無意識である。喪失した記憶はここに貯えられる。普通にいう心の力が異常にたかまったとき、それがよみがえる、そしてそこに埋蔵されていた記憶――誰もその期間を知らぬ、無始劫来という、それが絶望的なあるいは偶然的な破局(カタストロフ)の起こるとともに表面にもたらされる。しかしこの無意識層は最後の精神層ではなくて、さらに真に深い深いところにわれわれの人格の地盤となるべつの層がある。『集合的無意識』とも『無意識一般』とも称せられるもの、これがやや仏教の阿頼耶識の思想すなわち『蔵識』、『無没識』にあたる。この『蔵識』、すなわち『無意識』の存在は実験的に明示することはできぬが、それを定めおくことは意識の一般事実を説明する上に必要である。
 心理学的にいうとこ(ママ)の阿頼耶識すなわち『集合意識』(ママ)をわれわれの心的生活の基礎と見なすことができる。しかし、芸術的または宗教的生活の秘密を把握するために実在そのものに到達せんと思うときには、『宇宙的無意識』となすところのものを持たなければならぬ。『宇宙的無意識』は創造性の原理、神の作業場であり、そこに宇宙の原動力が蔵せられる。あらゆる芸術品、宗教人の生活と向上心、哲学者を動かす研究心――これらいっさいが、すべての創造能力を抱く『宇宙的無意識』の源泉からくるのである」
 『禅と日本文化』は、1938年(昭和13年)に原書が発行された。ユングは、本書を読んだに違いない。ユングは、臨床医として実証科学の立場から集合的無意識を仮説として提起したが、鈴木は仏教哲学者として、仏教の教義に基づいて自由な思索を行なっている。鈴木の見方は、意識の諸層の下に、個人的無意識があり、そのまた下に集合的無意識があり、さらに下に宇宙的無意識があるという構図である。宇宙的無意識は、仏教の教義における仏性や真如に当たるだろう。
 フロイトの別の弟子であるフロムも仏教に関心を持ち、自ら座禅を行なっていた。また、鈴木大拙を招いて研究集会を主催した。フロムについては、後に「禅と精神分析」の項目に書く。

 次回に続く。

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