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2020年09月04日10:12

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仏教49〜仏教伝来以前のシナ文明

●仏教伝来以前のシナ文明

◆先史時代
 シナ文明では、神話と歴史のつながりが薄く、神話も体系的には残されていない。この点、『聖書』を持つユダヤ文明や『古事記』を持つ日本文明と違い、民族の一貫性がなく、早くから民族の興亡や混交が激しかったことが想像される。
 神話と関係のあるものとしては、三皇五帝の伝説がある。三皇は、易をつくったとされる伏羲(ふっき)、人類を生み出したとされる女媧(じょか)、民に農業を教えたとされる神農(しんのう)をいう。民に火の技術と食物の調理法を教えたという燧人(すいじん)を挙げることもある。五帝は、黄帝、顓頊(せんぎよく)、帝嚳(ていこく)、唐尭(とうぎよう)、虞舜(ぐしゆん)をいう。五帝の末期は尭と舜だが、彼らが徳を以って天下を治めた後、舜から譲りを受けた禹が、夏を建国したとされる。そこからシナ最古の王朝を夏とする説がある。だが、現在、歴史的に実在が確認できているのは、殷以降の王朝である。

◆殷代
 紀元前17世紀末または前16世紀初めころ、湯王が夏を滅ぼして、殷を創始した。殷は以後、約500年間、黄河下流域に栄えた。
 殷では、上帝と呼ばれる天の神を最高神とした。王は上帝に仕え、卜占によって天意をうかがう神権政治を行った。また、各氏族の祖先神や山・川・植物その他の自然神が尊崇された。殷は、青銅器文化を発達させた。民族的には、漢民族の源流というより、東夷すなわち満洲・朝鮮・日本の諸民族に近いと見られる。

◆周代
 殷は、前1050年頃、紂王の時、周の武王に滅ぼされた。周では、殷の上帝信仰を受け継がれて天が信仰された。周王室による統治体制、政治制度、身分秩序は、すべて天の意志すなわち天命によって保証されるものとされた。その保証を得るために王が執り行う祭祀・儀式を、礼という。周公が制定した礼式は、宗教儀礼とともに政治的・社会的な制度を規定するものだった。周の礼と呼ばれ、後年、孔子によって復興すべき模範とされた。
 周は、一族・功臣等を諸侯として封土を与える封建制を敷いた。殷の青銅器文化を継承し、祭祀用の青銅器が造られた。前770年に異民族である犬戎の侵入を受けると、鎬京(後の長安)から洛陽に遷都した。それまでを西周、以後を東周と呼ぶ。

◆春秋戦国時代
 周の東遷以後の時代を、春秋時代という。春秋時代には、周王朝の権威はある程度、残っていたが、前6世紀に鉄器の使用がはじまると、武力を競う諸侯の群雄割拠となった。戦乱の世となった前403年以後を戦国時代と呼ぶ。
 紀元前770年の周の東遷から紀元前221年の秦による統一までの時代を、まとめて春秋戦国時代という。春秋戦国時代は、先秦時代とも呼ばれる。

◆諸子百家
 春秋戦国時代において、周王朝の権威はだんだん無視されていった。従来の制度は崩壊し、社会が変動する中で、様々な思想家・学派が現れた。彼らを諸子百家という。孔子・孟子・荀子の儒家、老子・荘子の道家、墨子の墨家、李悝 (りかい)・商鞅の法家、恵施の名家、騶衍(すうえん)の陰陽家等である。六家九流と数えられる。ここで「家」は、学派を意味する。また「子」は、偉大な人物・師匠につける尊称である。
 当時、思想の担い手は、主に士大夫(したいふ)といわれる階層だった。大夫は諸侯の家臣である領主・貴族であり、士は諸侯や大夫に仕える役人等になる者である。彼らは、分裂・対立の時代において、どう生きるべきか、世の混乱をどう収拾すべきかを考え、それぞれ独自の観点と論理を打ち出して活発な議論を行った。
 諸子百家のうち、シナ思想の二大潮流となったのが、儒家と道家である。これらは、宗教的な性格を持つので、儒教、道教とも呼ぶ。

 次回に続く。

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