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2020年08月18日10:09

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仏教42〜南アジアにおける展開:スリランカ

●アジア諸地域における展開

 仏教は13世紀にインドでは衰滅し、ヒンドゥー教に吸収された。だが、それまでの間に仏教は、アジアの各地に伝わっていた。紀元前約3世紀の半ば頃、マウリヤ朝のアショーカ王は、仏教の伝道を進めた。南伝仏教の伝承によると、アショーカ王の仏教の師であるモッガリプッタ・ティッサが中心となって第三結集が行われた。また、彼の指導によって、南アジア、西アジア、ヘレニズム諸国、東南アジア、中央アジアに伝道師が派遣された。伝道師は、サンスクリット語でまとめられた仏典を用いて布教した。その後、仏教は中央アジアを経て東アジアにも伝わった。
 仏教は、インドでは衰滅した後も、多くの地域でそれぞれ独自の発展を続けている。次に、その歴史を概術する。

●南アジア〜スリランカ

 アショーカ王時代の伝道の地の一つが、セイロン島、現在のスリランカである。当地の史書によれば、アショーカ王の王子マヒンダがスリランカに来て、デーワーナンピヤティッサ王に上座部仏教を伝えたという。上座部が分裂したうちの一つである分別説部(ふんべつせつぶ)が伝わったといわれる。王が帰依したことにより、仏教は王朝の保護を受けて全島に広まった。王がアヌラーダプラに建てた寺院や仏塔が遺跡として残っている。
 スリランカ仏教は、経典がパーリ語で書かれていることから、パーリ仏教ともいう。5世紀には、インドからブッダゴーサ(仏音 ぶっとん)が来て居住し、経・律・論の三蔵のほとんどにパーリ語の注釈書をつくった。それによって、仏教が一層盛んになった。
 スリランカには大乗仏教の一派も伝えられたが、今日まで上座部仏教が主流である。ただし、この間、スリランカの仏教は衰退と繁栄を繰り返してきている。6世紀には、スリランカの仏教徒がビルマに上座部仏教を伝えた。その後、スリランカで仏教が衰退すると、11世紀にはビルマから逆輸入された。16世紀にポルトガルが進出すると、ポルトガル人は仏教寺院を破壊し、僧侶を殺傷し、住民のカトリックへの改宗を強制した。17世紀半ばには、オランダが進出し、キリスト教の布教を行った。それによって、再び仏教が衰退すると、かつてスリランカからタイに伝えた上座部仏教が18世紀にスリランカに再輸入された。19世紀初めにはイギリスの植民地となり、キリスト教の布教がされた。だが、1860年代からスリランカでは、仏教復興運動が起こった。
 仏教復興運動の指導者の一人、ヒッカドゥウェ・スマンドラに学んだアナガーリカ・ダルマパーラは、1891年にスリランカ大菩提会を設立し、仏教の復興と学問的研究、仏教遺跡の回復、社会福祉等を進めた。それによって、現代スリランカ仏教復興の父と呼ばれる。スリランカの仏教復興には、神智学協会のオルコット大佐が貢献した。オルコット大佐については、後の項目で述べる。
 1947年にインドがイギリスから独立した後、スリランカはセイロンとして分離独立した。前年にイスラーム教徒の多いパキスタン、同年に仏教徒の多いビルマが独立した。セイロンは1972年にスリランカに国名を改めた。新憲法の制定により、仏教に最優先の地位が与えられた。
 スリランカは、世界で最も長い歴史を持つ仏教国である。日本外務省のサイトによると、2016年現在、人口の70.1%を仏教徒が占める。他にヒンドゥー教徒が12.6%、イスラーム教徒が12.6%、キリスト教徒が7.6%である。

 次回に続く。

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