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2020年08月08日12:33

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人種差別4〜「肌の色」の違いが黒人隔離の根拠

◆デモクラシーと普遍主義/差異主義

 デモクラシーは、発生的には民族的ないし人種的な差異主義を前提とするものだった。デモクラシーの発祥の地、古代ギリシャのアテネでは、ポリスの政治に参加し得る者は、異民族を奴隷として支配する領主民族だった。アメリカのデモクラシーは、この構造を近代において再現したものである。民族的・人種的差異主義を前提としないデモクラシーは、フランス革命において初めて見いだされる。フランス革命は、市民と人間の平等を宣言した。またヨーロッパで初めてユダヤ人を解放した。これは普遍主義の理想を追求したものだった。デモクラシーには、差異主義的なデモクラシーと普遍主義的なデモクラシーがあるわけである。
 私の理解によれば、この違いもまた家族制度の違いに基づく。アメリカの差異主義的なデモクラシーは絶対核家族、フランスの普遍主義的なデモクラシーは平等主義核家族の価値観に根ざした思想である。
 ところで、トッドは触れていないが、建国時のアメリカにおける普遍主義的要素は、フリーメイソンの強い影響による。イギリスの連合王国からの独立には、フランス的な普遍主義が必要だった。ロックの抵抗権は、フランスで革命権へと急進化した。スコットランドのメイソンは、フランスでは革命思想に転換した。フランスで隆盛したメイソンがアメリカ植民地に広がった。ワシントン、フランクリン等の指導者は、メイソンの幹部だった。今日も米ドルにはメイソンの象徴が印刷されている。メイソンの「自由・平等・友愛」は、植民地支配から独立を勝ち取る思想となった。トッドはそのことの重要性をよく把握していない。
 アメリカ独立革命におけるフランス・メイソン的な普遍主義は、あくまで白人の間のものだった。そこには、ユダヤ=キリスト教の人種差別・宗教闘争の思想が存在する。白人キリスト教徒は、自らを旧約聖書のユダヤ人に同定し、インディアンを殺戮すべき異教徒に同定した。根底にあるのは、南米でスペインからの侵略者が原住民を大量虐殺したのと、同じ思想である。本稿では、フリーメイソンについては立ち入らない。関心のある人は、拙稿「西欧発の文明と人類の歴史」「キリスト教の運命〜終末的完成か発展的解消か」等をご参照願いたい。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion09e.htm
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion12-5.htm
 「領主民族のデモクラシー」論について私見を加えると、国家つまり政府=統治機関の起源には、主に共同体の組織化、階級分化、征服支配という三つが考えられる。ここでは国家論には立ち入らないが、征服支配によって生まれた国家は、ある民族がほかの民族を征服・支配してできた国家である。征服国家では、支配階級と被支配階級は民族が異なる。支配階級の政治体制がデモクラシーであれば、「領主民族のデモクラシー」となる。
 アメリカは植民によって作られた国家だが、白人は先住民のインディアンを駆逐し、アフリカから連行した黒人を奴隷とした。それによって、アメリカは征服国家に似た民族間の支配構造を持つ。支配―被支配の上下関係には差異主義、支配層の内部では普遍主義という立体的な構造が、アメリカのデモクラシーの基本構造であると言えよう。

◆アメリカ黒人の「肌の色」の違い

 アメリカ合衆国では、白人平等のデモクラシーのもと、白人諸民族の同化が進んだ。シナ人移民の排斥や日本人移民への排日運動があったが、やがてアジア系も白人のサークルに加えられるようになった。今日、米国では、婚姻による白人同士や白人とアジア系等の融合の過程が加速度的に進行している。民族混交の増加である。
 しかし、この平等は黒人への差別を「代償」とするものだ、とトッドは告発する。平等の代償である黒人差別は、なくなっていない。トッドによれば、意識のレベルでは、黒人も平等という観念が成立していながら、無意識のレベルでは、差別は頑固に存続する。意識のレベルでの普遍主義と無意識のレベルの差異主義である。
 トッドによれば、アメリカ合衆国の歴史は、黒人も同じ人間と考える普遍主義的な意識と、黒人を嫌悪し、隔離しようとする差異主義的な無意識との「葛藤の歴史」である。トッドは、南北戦争による奴隷制の廃止は黒人を解放したが、そのことにより黒人と白人の「性的・遺伝学的分離が実現した」という逆説を暴く。1940年代以降の黒人解放運動は大きな成果を挙げ、1964年には公民権法が成立した。権利においては平等が実現した。しかし、大都市では、居住地と学校において、黒人の隔離が続いている。黒人の多い地域から、白人が逃げ出している。
 かつてアメリカの白人と黒人の間には、識字率など圧倒的な文化水準の差があった。黒人の「劣等性」にはある意味で根拠があった。しかし、19世紀から1世紀に及ぶ努力の結果、黒人の教育レベルは白人のそれと並ぶにいたった。白人との知的・文化的な差はなくなり、黒人の「劣等性」には根拠がなくなった。しかし、それでも差別は続いている。アジア系とインディアンが、「白人並み」に扱われるようになった現在、黒人だけが差異の対象となっている。この事態は、何を意味するか。黒人隔離の根拠は、肌の色の違いだった。「肌の色こそが本質的に重要であったことを意味する」とトッドは指摘する。

◆白人/黒人の二元構造

 トッドは、次のように述べる。
 「有色人種集団を特殊な区画に隔離して一線を画すという措置は、差異を現に目で見て感じ取りたいという白人支配集団の欲求を満たすと同時に、当のその差異への恐怖症を鎮めるらしい。このような解決策はもちろん被支配黒人集団に満足を与えることはなく、彼らの自己破壊への傾向はますます明らかになって来る。片親家族の数、殺人率、麻薬中毒の頻度がこの世の終末のような地獄絵巻を繰り広げる。なんとかしてアメリカ合衆国から隔離を一掃しようとしたアメリカの民主的良心の努力は、差異主義的な無意識の抵抗によって挫折に追い込まれた。その結果、アメリカ黒人をまことに複雑な心理状況に追い込んだ。意図したわけではないが、宿命的に彼らの精神的崩壊を引き起こす原因となった。
 『お前は人間ではない』と言う社会が行なう隔離は、気分の良い経験としては体験されないというだけで済むかも知れない。しかし『お前は人間だ』と絶えず言明し続ける社会によって隔離されたなら、論理的には狂気に追い込まれるはずである」と。
 トッドが明らかにしたように、米国における黒人たちは、身体的差異という宿命的な違いによって差別される。黒人は、「お前は人間だ」と言われながら隔離される。それによって、心理的・道徳的な崩壊に追い込まれる。ここに米国という差異主義社会の根本構造が立ち現れる。すなわち、白人/黒人の二元構造である。そして、アジア系等を含む広義の「白人」の平等と黒人差別の共存は、アメリカ建国当時の「領主民族のデモクラシー」が今日も、アメリカのデモクラシーの本質として続いていることを示しているのである。

 次回に続く。

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