●死後の世界
◆『リグ・ヴェーダ』におけるヤマの天界楽土
インドでは、古代から霊魂は不滅と信じられた。『リグ・ヴェーダ』では、死者の霊は永遠の楽土であるヤマの支配する王国に行くと信じられた。ヤマは、古代イランのゾロアスター教の聖典アヴェスタのイマに相当する。最初の人間にして最初に死んだ者であり、死者の国の王になった。死者の霊は、先祖の霊が通ったのと同じ道を通ってこの楽土に行き、そこで血縁の者と再会したり、ヤマや神々と交わる。ヤマの王国は最高天にあり、無上の快楽に満たされた理想郷であるとされた。
天界にある楽土に到達するためには、祭儀を実行しなければならない。布施や苦行も奨励された。そうして功徳を積んだ者は、ヤマの王国で永遠に幸福に暮らすと信じられた。欲望を捨てることを説くのではなく、願望を叶えるために祭儀を行っていた。
この説において、ヤマは人間の起源であり、最初の先祖であるから、一種の祖先神である。また、この死後世界の信仰は祖先崇拝であって、輪廻転生の思想はまだ存在しない。
『リグ・ヴェーダ』は、現世および来世における生を肯定し、快楽を享受することを願った。厭世的な世界観はなく、明確な地獄の観念は、まだ現れていない。
◆『アタルヴァ・ヴェーダ』における地獄の登場
地獄の思想が登場するのは、紀元前8世紀ころ成立した『アタルヴァ・ヴェーダ』においてである。それまでは死後世界は永遠の楽土だけだったが、地獄が想定されるようになり、生前の行為によって楽土か地獄かに選別されるようになった。
いかなる社会にも規範があり、善悪の区別がある。『リグ・ヴェーダ』の時代には、善を積めば楽土に行けるということだけだったが、『アタルヴァ・ヴェーダ』の時代には、悪を積めば地獄に行くという観念が確立し、現世における行為の善悪が来世の境遇を支配すると考えらえることになった。
いつしかヤマの王国は、存在する場所が天界から地下に移った。最初の祖先であり、楽土の王だったヤマは、死者の裁判官に変じた。シナの仏教では、ヤマを「閻魔(えんま)」と訳した。今日でもヒンドゥー教徒は、ヤマを死の神と信じている。
◆ブラーフマナ文献における再死へのおそれ
『アタルヴァ・ヴェーダ』に続いて、ブラーフマナ文献では、それまでよりも地獄の記述が詳しくなった。そのうえ、善行を積んだ者はヤマの王国に行くことができはするが、天界での幸福は永続するものではなく、天界において再び死ぬこともあるという思想が現れた。人々はこの天界での再死を恐れ、それを逃れるために祭儀を執行し、また善行に努めた。ここには、輪廻転生の観念の萌芽がある。
◆『ウパニシャッド』は解脱・再生・地獄落ちを説く
輪廻転生の思想の完全な形は、紀元前700年頃成立の『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』に現れた。本書は、五火二道説を記している。人が死後、火葬にされると、(1)空に昇って月に行く、次に(2)雨となる、(3)地に下って食物となる、(4)精子となる、(5)母胎に入って再生する。この五段階を供儀の祭火に託して説くのが、五火である。また、二道とは、神道(デーヴァ・ヤーナ)と祖道(ピトリ・ヤーナ)をいう。神道を進む者はブラフマンに至り、再生しない。祖道を進む者は再び地上に戻って、再生する。神道か祖道のどちらへ行くかは、生前の行為により決まる。こうした五火と二道を合わせたものが、五火二道説である。
この五火二道説によって、輪廻転生の思想が確立したといわれる。この説において、神道を進む者は、解脱を達成する。祖道を進む者は、輪廻転生を繰り返す。だが、悪人はこれらの二道へ進むことができず、第三の場所すなわち地獄に落ちると説く。ここに、来世観の中に地獄の観念が組み込まれた。
次回に続く。
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