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2018年06月01日09:33

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キリスト教54〜プラトンとアリストテレス

●プラトンとアリストテレスの哲学の利用

 1世紀後半、異邦人キリスト教徒が増えるにつれ、イエスの教えをユダヤ教とは別の背景で説明する必要が生じた。その際、ギリシャ哲学が摂取された。
 ギリシャ哲学は、紀元前6世紀にイオニアで生まれ、プラトン、アリストテレスが発展させた。キリスト教は、聖書に基づく人間観、世界観、実在観を教義として整備していくために、主にプラトンとアリストテレスの哲学を摂取して利用した。
 キリスト教は、唯一神教であり、神による無からの創造を説き、人間の楽園からの堕落とキリストによる救済を説く。ギリシャ哲学は、多神教の文化を背景としており、世界の成り立ちや人間の本質について、キリスト教とは異なる考え方をする。しかし、キリスト教徒は、彼ら異教の哲学者の学説を巧みに取り入れて、キリスト教の教義の整備を行った。その取り組みは、古代から中世まで、1世紀から16世紀までに及ぶ長期間にわたるものだった。そこで、ここに、プラトン、アリストテレスについて、基本的なことを書いておく。
 プラトンは、前5世紀後半から前4世紀前半のギリシャの哲学者である。プラトンの哲学の中心にあるのは、イデア論である。イデアの語の原義は、「見えているもの」「すがた」である。形相と訳す。プラトンの師ソクラテスは、たとえば「美とは何か」という問いに対し、その答えとなるべき「まさに美であるもの」をイデアと呼んだ。
 プラトンは、師の考えを発展させて、生成変化する現象界の原因として、現象界とは別の世界に、現象界の事物の原型・模範となっているイデアが存在すると説いた。イデアは、超感覚的で永遠不変の真実在であり、道徳・自然等のすべてに一貫する超越的な原理とされた。そして、プラトンは、万物は最高のイデアである「善のイデア」を目的として秩序づけられているという世界観を説いた。また、その世界観のもとに、道徳や政治のあり方を述べ、国家や魂における調和として正義を説いた。
 プラトンによると、イデアは発見するものではなく、想起すべきものである。彼の人間観は、人間の魂は何度か生まれ変わるという輪廻転生説に立つ。これは、オルフェウス教やピュタゴラス教団の影響と見られる。プラトンによると、魂はこの世に生まれる前、神々に従って天界を飛翔し、天の外にあるイデアの世界を見ようとした。その後、地上に墜ちて、人間の肉体に宿った。生前にイデアの世界を垣間見た人間は、イデアの世界を想起し、その世界に憧れる。肉体(ソーマ)は墓場(ソーマ)であり、哲学者はイデアの世界に最も強く憧れる人間である。ここには、肉体からの魂の離脱、不死にして永遠なるもの、魂が戻っていくべき場所といった考え方がある。
 キリスト教の神学者たちは、プラトンが、現象界とは異なる世界があること、魂が肉体に対して自律性を持つこと、魂は地上に転落して永遠の場所に帰るべきものであること、人間には本質的に真実在を認識する能力があることなどを説いていることを認め、そうしたキリスト教と共通点・類似点を通じて、彼の哲学を摂取した。その上で、プラトンのイデアは、キリスト教の神が創造したイデアとし、プラトンのギリシャ神話的な天界は神ヤーウェの世界とし、魂は自らの努力によって天界に戻るのではなくキリストによって救われるとし、輪廻転生ではなく一回限りの生の結果、死後天国か地獄かに分けられるとするなど、キリスト教の人生観、世界観、実在観の枠組みの中に、プラトンの思想を変換して取り入れていった。
 次に、プラトンの弟子アリストテレスは、前4世紀の哲学者である。「万学の祖」と呼ばれるように、イスラーム文明及びヨーロッパ文明において、数々の分野で大きな影響を与えた。
 プラトンは、イデアと語源的に同根のエイドスという言葉を、イデアとあまり区別せずに使った。アリストテレスは、現象界とは別の世界に実在する客観的なものという師のイデアには否定的であり、現実世界の中に見出される形をエイドスとした。本稿では、形相と訳す。アリストテレスは、形相に対して素材となるものを質料(ヒュレー)とし、事物を形相と質料の二つの概念で説明しようとした。
 アリストテレスの考えによれば、形相はただ個物、すなわち人間が実際に認識できる物のなかにしか存在しない。プラトンのイデア論のように、現象界とその原因とを分離してしまうと、事物の原因を説明できない。アリストテレスの研究の方法は、感覚的経験によって知られうるものから、それ自体において本来知られうるものへ向かうという方法だった。後者は、宇宙(コスモス)の万物を貫くロゴス(法則)による合理的な秩序(コスモス)を意味する。人間は自己の本質としてロゴス(理性)を分有することにより、真理の探究を成し遂げることを保証されていると彼は考えた。
 アリストテレスは、形相は動かすもの、質料は動かされるものであり、形相は質料を生成変化させるとした。たとえば、人間の形相は魂であり、魂が目指す善は、人間の形相である魂を動かす「形相の形相」である。このようにして、自然界のあらゆる運動や変化の究極の原因・根拠を探求していくと、自らは動かされることなく、他のものを動かす「不動の動者」に至る。「不動の動者」は、純粋な形相であり、質料を持たないから変化することのない永遠の存在である。プラトンのイデアに当たるものである。アリストテレスは、この「不動の動者」が神だとした。
 アリストテレスは、今日形而上学(メタフィジックス)と言っているものを、「第一の哲学」と呼んだ。第一哲学は、著作の順序において、自然学(フィシジカ)の後(メタ)に置かれたので、メタフィシジカともいう。第一哲学は、存在者を存在者として考究し、存在者に本質的に備わっている属性や性質すなわち一と多、同と異、先と後、類と種、全と個、範疇、真と偽等について、また存在者の区別を一般的に扱う。最高の存在者としての神的なものを扱う神学を含む。ここで神的なものとは、キリスト教の神のような人間世界に介入する人格神ではない。万物の原因・根拠としての存在を神格化したものである。アリストテレスの形而上学は、存在及び存在者に関する学問ゆえ、存在論と呼ばれるようになった。
 プラトンは、現世での生活よりもイデア界に憧れ、肉体的な経験よりもイデアの想起を重んじる理想主義的な哲学を説いた。これに対し、アリストテレスの哲学は、経験主義的・現実主義的であり、現実世界に強い関心を向け、自然や生物等についても幅広い研究を行った。彼の形相−質料論的・存在論的な神の概念を、ユダヤ的な人格的唯一神に置き換えれば、その哲学をキリスト教が教義の体系化や教義の補強に利用し得るものだった。

 次回に続く。

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