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2018年03月02日10:33

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キリスト教16〜奇跡の位置づけと理解

●奇跡の位置づけと理解

 一般に奇跡とは、常識や理性でもっては判断できず、説明のできない出来事をいう。キリスト教で奇跡とされるものは、神が、通常の自然法則を無視して、あるいは通常の自然法則を乗り越えて起こした現象を意味する。イエスによる病者の瞬間的な治癒や死者の蘇生は、そういう現象として理解される。またイエスは聖霊による処女マリアの受胎で生まれたとされており、これも同様に理解される。キリスト教では、神はこうした奇跡を通じて、人類に神の存在を啓示している、と考えられてきた。また、キリスト教における奇跡は、神の力が加わったことの立証とされてきた。
  奇跡について、教父アウレリウス・アウグスティヌスは、奇跡は神の意志によって起こるものであり、自然それ自体も神の意志にほかならないから、奇跡と自然は矛盾しないとした。自然と奇跡との間には調和がとれているが、人間が自然について知る範囲が少ないので、その範囲の知識と奇跡が一見、矛盾してしまうと考えた。
 中世スコラ神学の代表的な学者であるトマス・アクィナスは、自然には人間に知られている秩序と、神に知られている秩序があるとした。そして、奇跡は、人間に知られている低い秩序とは矛盾するが、神に知られている高い秩序とは矛盾しないと説明した。
 近代西欧科学が発達した後も、奇跡を認める科学者は、少なくない。キリスト教を信じる科学者は、次のように考える。神は、宇宙を創造し、万物を創造した。神はまた、宇宙万物を貫く法則を創造した。この法則は神の定めたものだから、人間が変更することはできない。しかし、神は法則を自由に変更して、通常とは異なる現象を起こすことができる、と。
 キリスト教における奇跡は、新約聖書に記された出来事だけでなく、稀にではあるが、ローマ・カトリック教会が公式に奇跡と認める出来事が現れている。中でも最も有名なのは、ルルドの泉における奇跡である。1858年2月11日、フランス南西部のルルドの町にある洞窟で、少女ベルナデットに聖母マリアの姿が現れた。その後、洞窟内に泉水が湧き出し、それに浸った者が病気の奇跡的な治癒を体験した。その報告が相次ぎ、調査が行われ、ガン、結核、骨折などの治癒例が、医学的に確認されている。泉の水には、特別の鉱物や放射能を含有していないことが検査結果で明らかになっている。
 フランスの外科医アレキシス・カレルは、ルルドの泉における治癒を奇跡だと主張している。カレルは頑固な懐疑主義者だったが、1903年にルルドで下腹部腫瘍の奇跡的治癒の現場に立ち会い、これを契機に奇跡の問題に取り組んだ。こうした奇跡を確認したカレルは、のちにカトリックに入信した。また1912年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
 ルルドの泉は世界的に有名になり、毎年数百万人が奇跡的治癒を期待して、この地を訪れている。カトリック最大の巡礼地となっている。ルルドには医療局が存在し、ある治癒をカトリック教会が奇跡と認定するための基準は大変厳しい。「医療不可能な難病であること、治療なしで突然に完全に治ること、再発しないこと、医学による説明が不可能であること」という科学的、医学的基準のほか、さらに患者が教会において模範的な信仰者であることが条件となっている。そのため、これまで百数十年間で約2500件が「説明不可能な治癒」とされるが、奇跡としてカトリック教会が公式に認定した症例は68件に過ぎない。
 キリスト教では、奇跡を起こすものは、イエス・キリストとその権威を受けたもののみであるとする。だが、奇跡は、キリスト教以外の宗教でも起こりうるし、また宗教に限らず、宇宙の根本法則の下に起こるべき条件が満たされたときには起こり得る現象である。奇跡の科学的研究が進めば、他の宗教における奇跡を認めないキリスト教の偏狭な姿勢はあらためられることになるだろう。

●真実か荒唐無稽か

 キリスト教における最大の奇跡の伝承は、イエスの復活である。イエスは磔刑に処された。ローマ帝国の百卒長が十字架上のイエスの左の脇腹を槍で刺して、死亡を確認したことを聖書は伝えている。だが、イエスは自らの予言通り死後3日目に復活したとされている。
 ユダヤ教の伝統では、契約の締結や更新のために、動物の犠牲を捧げる儀式が執り行われた。イエスはこの伝統を受けて、自分自身が契約の犠牲になる、自分の死を通して新しい契約が結ばれると考えたものだろう。
 復活したイエスは、40日間にわたり弟子や信徒の前に姿を現した。『コリントの信徒への手紙一』は、イエスについて「聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。」(コリント書15章4〜6節)と記している。この復活信仰がキリスト教の始まりとなった。
 荒唐無稽な話と考えれば、これほど荒唐無稽な話は、ほかにほとんどない。だがそうした宗教が急速に広がり、ローマ帝国の国教となり、ヨーロッパ、ロシア、アジア等にも伝わった。今日も世界の22億人以上の人々が、イエスを救世主と信じている。そのうち多くの人々はイエスが処女懐胎で誕生し、世の終わりに再臨すると信じている。どうしてこういうことが起ったのか。これは、世界史上、最も大きな謎の一つである。
 一番のポイントは、死者が復活したという点である。だが、使徒や信徒が復活したイエスを見たり、教えを受けたと主張するだけで、イエスは磔刑に処した役人やローマの総督ピラト、エルサレムの有力者らに会って、自らの復活を示したわけではない。そのため、使徒・信徒側の伝承以外に、第3者による客観的な記録が残っていない。もしイエスが復活によって神の意思や愛を伝え、多くの人々を悔い改めさせようとするのであれば、磔刑に処した役人やローマの総督ピラト、エルサレムの有力者らに会って、奇跡を示し、教えを説くとよかっただろう。40日後に昇天する際も、使徒や信徒以外のエルサレムの人々多数の前で、それを行えばよかったのである。イエスは、そうしていない。少なくともそうしたという記録はない。客観的な目撃者がいて、それを記録したものが残っているわけではないので、使徒や信徒の伝承を無批判に真実と見なすことは難しい。集団的な幻影を見たのだろうという仮説も成り立つ。
 30歳前半の若者が、宗教的な言動をとがめられて逮捕され、有罪とされて、磔刑に処された。死後、その若者は、実は「神の子」だった、神が遣わした救世主だった、その死によって人類の罪を贖ってくれた、と使徒たちが信じるようになり、多くの人々もそれを信じるようになった。これは、見様によっては、その若者に途方もない責任と役割を担わせたことになる。人類のすべての罪を一人の若者に負わせて、救世主だと仰ぎ奉ったことになる。
 イエスは、再臨して自身がキリストだということを人類に対して証明するのか。それとも、人々が過剰な願望の投影だったと気づいて、真のキリストを求めるようになっていくのか。21世紀は、その歴史的な結末を迎える時になっている。

 次回に続く。
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