mixiユーザー(id:525191)

2017年01月23日09:30

1194 view

ユダヤ3〜ユダヤ教徒とユダヤ人の違い

●ユダヤ教徒とユダヤ人の違い
 
 ユダヤ教を信じる者をユダヤ教徒という。ユダヤ教徒はユダヤ人だが、すべてのユダヤ人がユダヤ教徒ではない。「ユダヤ人>ユダヤ教徒」という関係にある。
 ユダヤ人は、身体的特徴を有する人種ではない。またユダヤ人には宗教的定義と民族的定義がある。前者は狭義、後者は広義の規定となる。
 狭義のユダヤ人は、宗教的定義によるものであり、ユダヤ教徒のことである。これに対し、広義のユダヤ人は、民族的定義によるものであり、ユダヤ民族のことである。キリスト教等の他宗教に改宗した者や、ユダヤ教を棄教し宗教を否定する無神論者・唯物論者等も含む。前者はイスラエルの法律の規定に基づくものであり、後者は、社会科学的なとらえ方である。歴史的・文化的・思想史的な記述をする場合は、主に後者の定義による。
 イスラエルでは、ユダヤ人の定義を帰還法に定めている。帰還法は、対象者をユダヤ人と認めて国籍を与える法律である。1970年改定の帰還法によると、ユダヤ人とは、(1)ユダヤ人の母親から生まれた者、(2)ユダヤ教に改宗した者で他の宗教に帰依していない者をいう。同法は、非ユダヤ人のイスラエルへの移住を認めている。祖父母のうち一人がユダヤ人である場合、ユダヤ人の配偶者と子供の場合等の移住が可能である。
 定義の(1)において、血統を母方とするのは、宗教法典『シュルン・アルフ』と『タルムード』の規定による。これは民族的な定義のようだが、母親がユダヤ教徒であることが前提になっている。母親がユダヤ教徒であれば、その母親が人種的には白人であっても黒人であってもアジア人であっても、生まれた子はユダヤ人と認める。そのことにより、民族的と同時に宗教的でもある定義となっている。なお、父親ではなく母親とするのは、幼い子供に与える影響力は、父親より母親の方が圧倒的に大きいからと見られる。ただし、戒律が最もゆるい宗派である改革派では、父親だけがユダヤ人でもその子をユダヤ人と認めている。
 定義の(2)は、宗教的な定義である。ユダヤ教に改宗した者は、もとはアングロ・サクソン人であれアラブ人であれシナ人であれ、ユダヤ人と認められる。世界中のすべての人種・民族は、ユダヤ教に改宗すればユダヤ人となりうる。逆に、ユダヤ人が他宗教に帰依するならば、狭義のユダヤ人ではなくなる。
 では、改宗・帰依によってイスラエルではユダヤ人と認められなくなった者は、何者なのか。私は、その者がユダヤ文化を保持し、また自分はユダヤ人だという意識を持っているならば、ユダヤ人と言わねばならないと考える。イスラエル帰還法におけるユダヤ人の定義は、宗教的定義に傾き、民族的定義を軽視している。しかし、世界史において特異に優れた能力を発揮してきたユダヤ人の過去・現在・将来を描くには、民族的な定義に基づく必要がある。そこで私はユダヤ教徒的ユダヤ人と非ユダヤ教徒的ユダヤ人がおり、その両方を合わせた集団をユダヤ民族とする。ユダヤ民族というエスニック・グループの中心的部分には、ユダヤ教徒的ユダヤ人があり、その周辺を非ユダヤ教徒的ユダヤ人が取り囲んでいるという構図になる。
 次に注意すべきは、イスラエルの国民と、イスラエルのユダヤ人は一致しないことである。イスラエルは、ユダヤ教徒のみの国家ではなく、またユダヤ人のみの国家でもない。イスラエルの国民は、約8割をユダヤ教徒及びユダヤ人が占めるが、その他に、アラブ人のイスラーム教徒やキリスト教徒がいる。またドルーズ族、チェルケス族もいる。イスラエルは、多民族・多宗教国家であり、政教分離を原則としており、ユダヤ教を国教としていない。
 2009年現在の数字によると、ユダヤ人は、全世界に約1330万人いるとされる。それらのユダヤ人におけるユダヤ教徒と非ユダヤ教徒の割合については、正確なデータがない。

●キリスト教・イスラーム教との関係

 ユダヤ教は、ユダヤ民族の宗教である。またユダヤ民族の宗教が、ユダヤ教である。だが、ユダヤ教は、単にエスニック・グループ(民族)の持つエスニック(民族的)な宗教であるだけでなく、二つの世界宗教の母体となった。すなわち、ユダヤ教からキリスト教が派生し、またユダヤ教の影響のもとにイスラーム教が発生した。これら二つの世界宗教は、ユダヤ教と同じく唯一神の観念を共有する。また、ユダヤ教の他の特徴である啓示宗教・契約宗教・啓典宗教という性格をともにしている。ただし、ユダヤ教が自然宗教であるのに対し、キリスト教・イスラーム教は創唱宗教である点は異なる。
 紀元1世紀の前半にパレスチナに、ユダヤ教の改革者としてイエスが登場し、彼の教えを信じる者は神によって救済されるという脱民族的な教えを説いた。それがキリスト教へと発展した。キリスト教は、ユダヤ教と神をともにし、ユダヤ教の聖書を旧約聖書、イエスの言行録や弟子たちの手紙等を新約聖書とする。この「約」は、神との契約を意味する、それゆえ、ユダヤ教はキリスト教の母体となっている。しかし、ユダヤ教は、イエスを救世主とは認めず、独自の救世主の到来を待っている。
 次に、イスラーム教は、8世紀のアラビアで、ムハンマドがユダヤ教とキリスト教を批判して独自の教えを開いたものである。聖典『クルアーン』は、イスラーム教もユダヤ教もキリスト教も唯一絶対の神を崇拝する本質的に同じ宗教だと説く。アッラーと、ユダヤ教の神、キリスト教の神は、名称は異なるが、同じ神を表していると考える。神は一つであり、一体異名という考え方である。しかし、ユダヤ教は、自らの神ヤーウェとイスラーム教の神アッラーとは異なるものとし、イスラーム教の教義を受け入れない。
 キリスト教はユダヤ教から出て世界宗教となった。イスラーム教もまたユダヤ教から一定の影響を受けて世界宗教となった。これらユダヤ教及びそれを元祖とする宗教であるセム系一神教は、それ以外の諸宗教と人間観・世界観・実在観が大きく異なる。人類の共存調和のためには宗教間の相互理解・相互協力が必要だが、それにはセム系一神教同士の対話と協調が強く求められている。その対話と協調の可能性を探るには、ユダヤ教の研究が必要である。

 次回に続く。

4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する