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2016年06月16日08:57

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人権319〜センの自由とケイパビリティ

●自由とケイパビリティ

 ケイパビリティは、自由に関する概念である。センは、まず自由について、『正義のアイデア』で次のように述べる。
 「自由は、少なくとも二つの理由により価値がある」「第一に、より自由であれば、我々の目標、我々が価値を認めるものを追求する機会が、より多く開かれる」「自由のこの側面は、我々が価値を認めるものを達成する能力に関わっていて、それがどのように達成されるかという過程には関わりがない」「第二に、我々は選択の過程自体に重要性を認めるかもしれない」と。後者の選択の過程とは、個人の意思による選択の自由に関するものである。
 ロールズは、正義論においてこうした自由について考察した。その際、鍵となっているのが、基本財の概念である。基本財は、権利、自由と機会、所得と富、そして自尊心の社会的基礎を含むものとされる。センは、「基本財は、せいぜい人間の暮らしにとって価値ある目的のための手段でしかない」とし、「基本財は何か別のもの、特に自由のための手段に過ぎない」と主張する。この点で、センは、自由を中心とした近代西洋思想の伝統を継承している。センが独自性を見せるのは、その自由の実際的な内容を検討しているところにある。
 センは、『人間の安全保障』(集英社新書 講演・論文集)に収められた「人権を定義づける理論」と題した講演で、次のように述べる。
 「ケイパビリティは一種の自由であり、これは人が良好な栄養状態であることをはじめ、生命活動の特定な組み合わせをどれだけ選択できるかを表すものである」
 ここでポイントとなるのは、ケイパビリティの拡大は、個人の自由意志による選択の幅を広げることを意味することである。
 センは、『正義のアイデア』で、次のように述べる。
 「ケイパビリティ・アプローチは、人の暮らしに焦点を合わせるものであり、経済分析で人の成功を測る主要な基準として用いられる所得や財のような、単に有用なモノではない。確かに、ケイパビリティ・アプローチは、暮らしの手段から離れ、暮らしの実際の機会に焦点を移すことを提案する」と。
 ケイパビリティ・アプローチは、まったく同じ手段を持った人同士でも、現実に与えられる機会はきわめて異なったものになる可能性があることを明らかにする。
 「たとえば、所得もそれ以外の基本財も完全に同じ条件であれば、障害者がなしとげられることは、健常者よりもはるかに限られている。(略)健常者と比べた場合に、障害者は実際に全く同じ機会に恵まれているとは言えないのである」と。
 センはまた次のように述べる。
 「富は、それ自身、我々が価値を認めるものではない。また、我々の富を基礎として、我々がどんな暮らしを達成しているかを示す良い指標でもない。深刻な障害を持つ人が、健常者よりも多くの所得や富を持つという理由で、健常者よりも優位にあると判断することはできない。実際、障害を持つ金持ちは、障害を持たない貧しい人よりも多くの制約を受けているかもしれない。様々な人々が他者と比べて持っている優位性を判断する上で、我々は、彼らが享受することのできるケイパビリティ全体を見る必要がある」と。
 このように説くセンは、ケイパビリティの概念を用いて、同じ基本財でも、それが実際に可能にする自由は、健常者と障害者、富裕者と困窮者等の間で異なることを明らかにした。例えば、同じ自転車という財が与えられても健常者と身障者ではその使い勝手が異なる。この点を考慮せずにただ手段を平等に分配しても、本当の平等にはならないことを、センは指摘する。そして、とくに人間生活の基本となる衣食住、社会生活への参加等については可能な限りの平等を図るべきだと訴え、障害者、女性、困窮者等の権利を主張している。
 センは、ケイパビリティの概念は、世界の貧困問題の解決に取り組むうえで、有効だとする。センは、貧困を低所得あるいは福祉の欠乏ととらえる従来の解釈に対し、ケイパビリティが低い状態ととらえることを提案した。センは『不平等の再検討』で、「所得中心の見方からケイパビリティ中心の見方に軌道修正することで、立ちはだかる貧困がどういったものかについてのわれわれの理解は深まる」とし、「ケイパビリティの見方は、貧困撲滅の政策における優先順位についての明確な指針」を与えるという。
 講演「人権を定義づける理論」では、次のように言う。
 「生きるのに最低限必要なものでさえ欠乏する深刻な状況が世界各地で起きており、それらの多くが選択されたものではなく、こうした状況を回避する自由がないことから生じていると思われる」と。
 欠乏を回避する自由がない状態は、ケイパビリティが低い状態である。それは個人の選択の自由によるものではなく、発展途上国の多くの深刻な現実である。
 センは、ケイパビリティが示す実質的自由について、次のように言う。「より多くの自由は、人々が自らを助け、そして世界に影響を与える能力を向上させる」。すなわち、潜在能力の機能の拡大こそ、発展の究極的目標であり、またそれは同時に自由の拡大を意味すると主張するのである。
 国連開発計画(UNDP)による『人間開発報告書』1997年版は、ケイパビリティについて、センの思想を踏まえて次のように書いている。
 「ケイパビリティが欠如しているということは、寿命、健康、住居、知識、参加、個人の安全保障、環境について剥奪状態に置かれているということであり、これらの剥奪状態が絡み合うと人間の選択の幅は大幅に制限される。剥奪状態をもたらす格差の中味は、貧しい人と富める人、女性と男性、農村と都市、国内の開発の進んだ地域と低開発地域、そして民族間の不平等である。しかも、これらの不平等は相互に絡み合い、重複している」と。

 センは、ケイパビリティについて考え方を示すのみで、具体的なリストを提示しない。この点を補っているのが、センと共同作業を行った哲学者のマーサ・ヌスバウムである。ヌスバウムのリストについては、ヌスバウムの項目に記すことにし、ここではセンに関する記述を続ける。

 次回に続く。
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