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2016年05月28日08:49

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人権313〜サンデルの自由主義批判

●自由主義への批判

 サンデルは、ロールズによって「正義の政治的構想として考えられた自由主義」は、三つの反論にさらされている、と言う。
 第一に、「ロールズが訴える『政治的価値観』は大切だとしても、道徳的・宗教的な包括的教説の内部から提起される主張を、政治的な目的のためにカッコに入れる、つまり脇へ置くことが必ずしも合理的だとは限らない」。
 第二に、「現代の民主主義社会に住む人々が、相容れない多様な道徳的・宗教的見解を持っているというのはそのとおりだが、道徳や宗教に関する『穏当な多元性の事実』が正義の問題には当てはまらないとは言えない」。
 第三に、「市民が政治や憲法の基本問題を論じる際、自分の信じる道徳的・宗教的な理念を持ち出すのは正当ではない」というのは「あまりにも厳しい制約であり、政治論議を貧弱にし、公共の熟議の重要な要素を排除してしまう」。
 これら三つの反論は、コミュニタリアンによるものであり、サンデル自身によるものでもある。
 サンデルは、第一の反論について、「道徳や宗教の主張を考慮せずに『政治的価値観』の優先を断言することの難しさは、重大な道徳的・宗教的問題にかかわる二つの政治論争を考えてみればわかる」として、二つの例を挙げる。一つは現代欧米社会における妊娠中絶の権利をめぐる論争、もう一つは1858年米国における住民主権と奴隷制をめぐるエイブラハム・リンカーンとスティーヴン・ダグラスの討論である。
 まず堕胎の問題について、サンデルは次のように言う。「胎児の道徳的地位に関してカトリック教会が正しいとすれば、つまり中絶が道徳的には殺人に等しいとすれば、寛容や女性の平等という政治的価値観がいかに重要であろうと、それが優位に立つ理由は明確ではない」「中絶するかどうかを決める女性の権利を尊重する議論は、発達の比較的早い段階で胎児を中絶することと、子どもを殺すことの間に妥当な道徳的違いがあると示せるかどうかに左右される」と。
 次に、奴隷制の問題については、サンデルは次のように言う。「ダグラスによれば、奴隷制の道徳性について見解が一致しないのは避けられないから、国策においてはこの問題に対して中立を守るべきだという。彼が擁護した住民主権の教説は、奴隷制の是非を判断せず、各準州の住民に自由な判断に任せるというものだった」。これに対し、リンカーンは反論した。「政策は奴隷制について実質的な道徳判断を避けるのではなく、表明するものであるべきである」「奴隷制をめぐる道徳問題をカッコに入れることに納得できるのは、それが自分の考える道徳的悪ではないという前提がある場合に限られる」と。
 第二の反論について、サンデルは次のように言う。「ロールズのようなリベラル派平等主義者とノージックやフリードマンのようなリバータリアンの論争」は「配分的正義の正しい原理とは何かをめぐる意見の不一致であり、格差是正原理をめぐる意見の不一致ではない。だが、ここからわかるのは、民主主義社会には道徳や宗教についてと同様、正義についても『穏当な多元性の事実』が存在するということだろう。そうだとすれば、正義と善の非対称性は崩れてしまう」と。正義と善の非対称性とは、正義が善より優先されるということであり、非対称性が崩れるとは、正義の善に対する優先は根拠を失うということである。続けてサンデルは、次のように述べる。「穏当な多元性の事実が正しいとしても、正と善の非対称性はさらに別の前提に依拠している」。「それは道徳や宗教について我々の意見が一致しないにもかかわらず、正義については同じような意見の不一致はない、あるいはよく考えてみればないはずだという前提に立っている」。だが、「周囲を少し見渡すだけで、現代の民主主義社会に意見の対立が満ち満ちていることがわかる」「アファーマティブ・アクション、所得分配と税の公平性、医療、移民、同性愛者の権利、言論の自由と差別発言、死刑など、ざっと例を挙げただけでもこれだけある」と。
 次に、第三の反論について、第一の反論、第二の反論でサンデルが挙げた例には、道徳的・宗教的な価値観の違いが政治的な意見の違いになっているものが多くあり、それらが第三の反論の例証となる。多様な価値観が併存する社会で政治的な議論を行う際、各自の信じる道徳的・宗教的な理念を持ち出してはならないとすれば、実りある議論ができなくなる。政治的な合意も形成されず、意見の相違は対立のままになってしまう。
 ロールズによって「正義の政治的構想として考えられた自由主義」は、これらサンデルの挙げる三つの反論に対して、有効な再反論をすることができない。それは、個人主義的自由主義が前提としている「負荷なき自己」という自己認識が誤っているためであり、また正義と善を区別できるとする理論が社会の現実と乖離しているためである。私は、この点サンデルの見解は、妥当なものと考える。

 次回に続く。

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