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2015年12月21日08:46

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人権242〜「宣言」採択の状況と目的

●わが国から見た「宣言」採択の状況と目的

 世界人権宣言は国連という矛盾と限界を持つ組織を背後に持つ。そのため、矛盾と限界を露呈している。そのことは、「国連=連合国」とわが国の関係及び「宣言」採択の状況と目的を確認すると、より一層明瞭になる。次にその点について書く。
 第2次大戦では、大規模な民間人の無差別殺戮が行われた。連合国・枢軸国の双方で非戦闘員の殺戮が行われた。枢軸国によるものだけが罪に問われて、連合国の行為は不問にされた。1945年(昭和20年)2月13日、英米軍はドイツの古都ドレスデンを空襲した。死者は約3万5千人に上った。この攻撃は、軍事施設を攻撃する戦術とは明らかに異なり、一般市民への無差別攻撃だった。わが国においては、同年3月10日、アメリカ軍がB29で東京を空襲した。一夜で約10万人が犠牲となった。一般市民を対象とした無差別攻撃であり、戦時国際法に違反した行為だった。木造建築の弱点を突き、焼夷弾で老若男女を焼き殺した。この東京大虐殺のほか、わが国の66の主要都市が無差別攻撃され、無辜の民が斃れた。さらに8月6日、アメリカ軍は広島に原子爆弾を投下した。この人類史上初の原爆投下によって、約14万人の生命が奪われた。9日には、二発目の原爆が長崎に投下され、約7万人が殺害された。原爆の死傷者のほとんどは、非戦闘員だった。原爆の火による大量殺戮にこそ、ホロコーストの語がふさわしい。
 8月9日未明、弱りきった日本の姿を見て、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦した。ヤルタ密約に基づく行動だった。満州・樺太・千島に侵攻したソ連は、国際法を無視し、日本人を俘虜として抑留し、シベリア等の各地で強制労働を課した。旧厚生省援護局の資料によると、抑留者は約57万5,000人、うち死亡者は約5万5,000人。ロシア側の研究報告によると、抑留者は約54万6,000人、うち死亡者は約6万2,000人とされている。実態はさらに大規模だった可能性があり、ロシア人ジャーナリストのアルハンゲリスキーは、日本人の抑留者200万人以上に達し、そのうち40万人が虐殺されたと推計し、酷寒の地で食糧も防寒具もろくに与えられず、重労働を課せられて虐殺された日本人の数は原爆での死者より多かったとして、著書に『シベリアの原爆』という題をつけた。邦題は『プリンス近衛殺人事件』(新潮社)とされている。
 昭和天皇は、8月9日の御前会議において終戦の御聖断を下された。御聖断に従って、わが国は8月10日にポツダム宣言の受諾を連合国に通告した。わが国は、宣言の定める条件を受け入れて降伏し、大戦は終結した。日本は、「連合国=国連」の占領するところとなり、国家主権を失った。「連合国軍=国連軍」の占領統治は、52年(昭和27年)4月28日まで、約6年8ヶ月続いた。異例の長さだった。この間、日本弱体化政策が強行され、極東軍事裁判いわゆる東京裁判が行われた。
 東京裁判は、1946年(昭和21年)5月3日に開廷され、2年半を経て、48年11月4日から12日に判決が下された。A級被告28人を起訴したのは昭和天皇の誕生日(昭和21年4月29日)、東条英機・広田弘毅等7人の絞首刑は、今上陛下の誕生日(同23年12月23日)に実施された。また、BC級戦犯1061名が処刑された。 東京裁判は、最初から日本を一方的に侵攻者、極悪犯罪国家とし、日本の国家指導者を処刑しようとするものだった。裁判は形式にすぎず、「勝者による敗者への復讐劇」であり、「見せしめの儀式」だった。判決は、罪刑法定主義、法律不遡及の原則に反し、かつ被告らが「共同謀議」による「侵攻戦争」を行ったという判決は不当なものだった。
 東京裁判では、連合国つまり国連の犯罪は一切問われなかった。最も重大なのは、アメリカによる原爆の使用が、免罪されたことである。原爆投下は民間人の無差別大量殺戮だった。しかし、東京裁判では、民間人である犠牲者・被爆者の人権は、問題とされなかった。また、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州・樺太等に侵攻したことも問われなかった。ソ連によるシベリア抑留・強制労働も人権を蹂躙し、国際法に違反した犯罪だった。しかし、共産主義諸国による犯罪もまた東京裁判では一切裁かれなかった。
 東京裁判の判決が下された翌月、1948年(昭和23年)12月10日の第3回国連総会、すなわち連合国総会で世界人権宣言が採択された。「宣言」の採択の2週間後に、東京裁判の「A級戦犯」の「処刑」が行われた。東京裁判と「宣言」の起草の時期は重なり合う。「宣言」の起草は、東京裁判が開始されて約1年後にはじまり、東京裁判と並行して進められた。「宣言」は連合国の力の優位と連合国の犯罪行為の不問の上に出された文書である。現代世界に公正と信義の実現を求める人は、このことの意味をよく認識する必要がある。「宣言」の謳う人権は、その時点では勝者の独善によって発せられたものなのである。

 次回に続く。

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