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2015年12月06日06:50

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人権235〜世界人権宣言の人間観(続き)

●世界人権宣言の人間観(続き)

 世界人権宣言第1条は、人間は「理性と良心」を授けられているとする。理性とは reason、良心とは conscience の訳語である。これらもまた、近代西洋文明の人間観に基づく概念である。18世紀において、人間理性は、近代西洋という歴史的・社会的・文化的に限定された社会で認められた思考能力に過ぎなかった。だが、その後、西洋文明が世界を席巻したことにより、理性は、非西洋文明の諸社会においても、人間の基本的な能力を表す概念となった。フランス人権宣言では、人間の理性が強調されたが、世界人権宣言では、理性という知的能力だけでなく、良心という道徳的能力が併記されている。ここで理性は良心と併記されつつ、近代西欧的な概念から、世界人類に共通する概念に転じたのである。
 次に、世界人権宣言第1条は「同胞の精神(a spirit of brotherhood)」という言葉を使っている。これは、人類を家族に例える考え方に基づく。同胞とは本来、共通の親を持つ兄弟姉妹のことをいう。「宣言」は、人類は家族であり、同胞の精神をもって行動しなければならないとする。
 「宣言」は人類家族の構成員について、「個人」の意味で individualいう言葉を使っていない。「宣言」において、個人にあたるのは、a person である。そして、人間は、人間としての尊厳を持ち、各個人が「人格」(personality)を持つ存在だとしている。ここにいう人格とは、理性と良心を持つものと考えられる。この点に関して、第22条に次のように記されている。
 「すべて人は、……自己の尊厳と自己の人格の自由な発展(the free development of his personality)とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する」
 また第26条2項に、次のように記されている。
 「教育は、人格の完全な発展(the full development of the human personality)並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。……」
 ここには、人格は発展するものであり、自由かつ完全に発展すべきであるという思想が表れている。また、人格の発展のために必要なものが教育であり、教育は人格の完全な発展を目的の一つとすべきだという認識が示されている。
 以上見てきた条文に、世界人権宣言の人間観が概ね表現されている。その主要な要素は、人類家族、自由、平等、尊厳、理性、良心、同胞の精神、人格とその発展可能性である。そして、「宣言」は、人間は経済的、社会的及び文化的な権利を実現する権利を持ち、それらを条件として、自己の尊厳を保ち、人格的発展を追求する権利を持つとしている。これは、人格の存在とその成長可能性を認める近代西洋の思想を背景にした考え方である。ただし、こうした文言が並んではいるが、そのもとにある人間観は、十分深く考察されたものではない。
 私は、こうした世界人権宣言の人間観のもとには、ロック=カント的な人間観があると見ている。ロック=カント的人間観とは、人間は、生まれながらに自由かつ平等であり、個人の意識とともに理性に従って道徳的な実践を行う自律的な人格を持つ、という人間観である。また「宣言」における人格の概念は、主にカント哲学によっていると考える。ただし、カントの超越論的観念論や道徳哲学を捨象し、また人間は理性的存在ゆえに尊厳を持つという思想も抜いて、ただ人格や人間の尊厳という観念だけを盛り込んだ様相である。いわば欧米人の常識となったロック=カント的人間観を反省的に検討することなく、条文を作成したのだろう。
 世界人権宣言における人間観は、先の文言にも関わらず、個人が「人類家族の構成員」であり、その家族の一員として人格的に成長し、発展することを強調してはいない。また、「宣言」は、親子・婦・祖孫等による実際の家族の重要性には、あまり具体的に触れていない。共有生命に基づく具体的な家族的人間関係に、立ち入ろうとしていない。同時にそうした家族の巨大な集合体である人類家族についても、具体的に生命的・歴史的に考察していない。一定の人間観を表しながら、その依って立つ根拠を示さず、またそこから展開し得るものを秘めた状態に止まっている。人間に関する考察の不十分なまま、条文は採択されたのである。私は、この点の掘り下げが人類的な課題だと考える者である。
 ところで、人間観に関する言葉に、人間、人類、人間的、人道がある。これらは human という形容詞を中心としたという英語単語に対応する日本語である。human は特に動物や機械と対比して人間について使われる。human being は「人間、人類」と訳される。human であることを意味する humanity は「人間、人類、人間らしさ、人道」等と訳される。すべての人間の持つ性質や権利を意味することもある。訳語のうち人道について、『広辞苑』は「人の踏みおこなうべき道。人の人たる道。人倫」と解し、人道的は「人としての道義にかなったさま。人間愛をもって人に接するさま」と解している。「道」は孔子・老子、「人倫」は孟子が使った概念であり、西洋思想に同一の概念はない。Humanity を人道、humanitarianism を人道主義等と訳すが、中心にある人、人間の概念に類似と相違があることに注意しなければならない。
 人間としての尊厳と個人としての人格を持つような人間の権利を考えるには、新たな人間観の構築が必要であると私は考えている。この課題については、第1章に私見の概要を書いたが、第4部でより具体的に書くので、本章では世界人権宣言の条文の確認に止める。

 次回に続く。
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