mixiユーザー(id:525191)

2015年07月04日08:43

323 view

人権169〜ホッブスは科学思想を応用した

●ホッブスの社会契約論は科学思想の応用だった

 ホッブスの理論は、彼の世界観・人間観に基づいている。17世紀の西欧では、F・ベイコン、デカルト、ボイル、グロティウスなど新たな理論を発表する思想家が多く出たが、ホッブスは特異である。当時、ホッブスほど、キリスト教的な神を思考から排除した思想家はいない。古代ギリシャにはデモクリトスのような唯物論者がいた。ホッブスはその後継者のように突如、キリスト教文化圏に出現した唯物論者である。
 ホッブスの社会観・国家観は、当時の科学思想を社会・国家に応用したものである。デカルトと親交のあったホッブスは、思考方法を彼に学んでいる。ホッブスは、国家を一つの巨大な「人工的人間」として考察し、それがどういう要素をどのように組み立てて出来上がるか、思考実験によって構成した。デカルトは『情念論』(1649年)で、「生きている人間の身体」を自動機械にたとえ、それをあくまでも機構としてとらえるべきことを説いた。ホッブスが『リヴァイアサン』の序説に書いている思考方法は、ほとんどデカルトの方法をなぞったものである。ホッブスはまたデカルトの影響で機械論的自然観を抱き、原子(アトム)的個人を要素とする社会観を描いた。原子(アトム)とは、それ自体で存在する最小の単位である。原子的とは、互いに独立した個人が、運動する原子のように、力を以てぶつかり合う状態である。個人について、親子・夫婦・祖孫等の家族的血縁的なつながり、集団における生命の共有と共同性は、考慮されていない。
 ホッブスに多大な影響を与えたデカルトは、近代哲学の祖である。デカルトは、中世の神学や薔薇十字団の神秘思想等を経て、数学・自然科学を志した。そして方法的な懐疑を通じて、「我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」を哲学の第一原理とした。そこから明晰判断を真理の基準とする物心二元論を打ち出した。物心二元論は、思惟を属性とする精神と、延長を属性とする物体とを峻別する。デカルトは精神・物質をともに実体すなわちそれ自身によって存在するものとした。これによって、機械論的自然観の基礎を築いた。またデカルトは、精神の中に生得的な観念があり、理性によって精神自身が観念を演繹して展開することが可能であるとした。その生得的な観念の一つが神であり、デカルトはコギト(思考する我)の根拠として神の存在は自明のものとした。
 デカルトは、大陸合理論の祖でもある。合理論(rationalism)は、合理主義、理性主義とも訳す。すべての確実な知識は生得的で明証的な原理に由来すると説く立場である。ホッブスは、デカルトの形而上学的な部分については、異を唱えた。キリスト教的な神を思考から排除するホッブスは、人間の観念は生得的ではなく、感覚から経験的に生じるとした。この点で、ホッブスは、イギリス経験論の先駆者とも言える。経験論(empiricism)は経験主義とも訳す。その祖はロックとされる。ロックはデカルトと同じく神の存在を肯定しているので、ホッブスの唯物論は当時において際立っている。
 さて、ホッブスによると、物体は実在し、物体と感覚の衝突によって、行動への意思が生じ、意思を実現するための力が求められる。「全人類の一般的性向」は「次から次へと力を求め、死によってのみ消滅し得るような不断の意欲」である。人間がその意欲によって力を求めて行動し、互いにぶつかり合うとき、「力の合成」が起こる。その結果、合成された力は「人間の力の中で最大のもの」となる。ホッブスは、国家の設立を、こうした物理的な力の合成として説明する。
 ホッブスの力は物理的な力と表象されているが、その力は意思に基づく能力であり、権力である。ホッブスの人間は、生命の自己保存のために、権力を求め続ける者である。また個々人の意思を合成して生まれる国家は、権力の主体である。その権力が主権である。ニーチェは生命の本質を「力への意志」であるとし、「力への意志」を生の唯一の原理とする闘争の思想を説いたが、その思想は、ホッブスは通じ合う。また、あらゆる人間関係に「無数の力関係」が存在するとして権力のミクロ分析を行ったフーコーにも、ホッブスは通じる。
 ホッブスは、フランシス・ベイコンの思想の影響も受けている。ホッブスはベイコンの弟子であり、秘書として彼に仕えた。そして、ベイコンを継承し、科学による新しい国家(コモンウェルス)の構築を図った。ベイコンは、「知は力なり」との言葉通り、科学と科学者が王座を占め、科学によって得られた正しい知識によって統治が行われる「ニュー・アトランティス」という文明を構想した。現実の不合理を超える合理的な社会秩序があると考えるベイコンは、人間の理性に無限の信頼を置き、自然と社会の科学が社会を支配すれば、幸福な社会が実現すると考えた。ホッブスの「リヴァイアサン」は、「ニュー・アトランティス」を実現しようとしたものだった。原子的な個人による「力の合成」で設立された国家が、科学によって社会を発展させるという構想である。
 ホッブスは、イギリスの政治的伝統や価値観を否定する。彼の社会契約論は、解析幾何学的な方法で国家を設計するもので、ホッブスは自然科学的思考を国家建設に応用した設計技師と言えよう。ハイエクは、頭の中で考えた理論で社会制度を設計し、それをもって社会を改造しようとする思想を設計主義と呼び、デカルトに始まる設計主義は「合理主義の思い上がり」であり、人間の驕りだとして厳しく批判した。人間は完全な知識を持ち得ないのであり、社会の慣習や伝統を大切にしてこそ、個人の自由が守られる、と説いた。ホッブスは、ベイコンとデカルトを合体することにより、デカルトとサン・シモンを結んだ。私は、そこから百科全書派、マルクス、レーニン、スターリン、ヒトラーという系譜が続くと考える。
 人権概念を最初に提起したホッブスは、人権とともに主権・国家を論じた。その思想は、リベラル・デモクラシーとは正反対の独裁、統制主義を裏付けるものだった。この点、ロックは、ホッブスの社会契約論を継承しながら、個人を家族的な結合による社会関係の中でとらえ、ホッブスとは異なる理論を展開した。次にそのロックの思想を見てみよう。

 次回に続く。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する