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2015年02月01日10:29

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日本人人質2名はテロリストに殺害された

 2月1日、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束されていた後藤健二氏が、湯川遥菜氏に続き、殺害された。お二人の御冥福をお祈りする。

 今回の日本人人質事件に、日本国政府はテロに屈しない姿勢を貫いた。身代金の要求を拒否し、友好諸国の協力を得ながら人質解放のために可能な限りの努力をしたと評価できる。
 湯川氏、後藤氏は政府職員ではなく、政府の委託を受けて公務のために紛争地域に行ったのでもない。政府は危険地域に立ち入らないよう勧告している。その勧告に従わずに、イスラム国の勢力地帯に行った。湯川氏は民間軍事会社の経営者としてのビジネスの目的と、死に場所を求めてという自滅的な動機によって、その地に行き、テロリストに拘束された。フリージャーナリストの後藤氏は、湯川氏を救出するために、イスラム国の中心都市ラッカに行ったと見られる。映像でその行動は自己らの責任によることを語っていた。邦人救出であれば、後藤氏の立場ですべきことではない。また戦場カメラマンの渡部陽一氏が言うには、テロリストに捕まる時点で、ジャーナリスト失格である。湯川氏、後藤氏の二人の軽率な行動が、テロリストに利用された。そして政府及び日本国民また友好国に多大な迷惑をかけた。彼らの行動を許した家族も反省すべきである。

 安倍首相は、後藤氏の殺害が明らかになった後、「テロは絶対に許さない、強い憤りを感じる」とコメントした。政府には国民の生命と安全を守る義務がある。だが、個々の国民にも国法を遵守する義務と、自らの行動に対する責任があることを忘れてはならない。

 後藤氏の経歴には、表の顔とは全く違う一面が見られた。週刊文春2月5日号の記事から抜粋する。

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http://shukan.bunshun.jp/articles/-/4783

・法政大ではアメフト部、卒業後は日立子会社に就職
・ボディービルジムで500万円トラブル、「風俗店経営」証言も
・20代で通信社設立、「前妻とはイラク行きが原因で離婚」
・今の妻は東大卒、JICA職員、自宅は赤坂マンション
・兄が明かす反原発母と後藤家の複雑な"家庭の事情"

 後藤さんと面識のあるフリージャーナリストが言う。「後藤さんは昨年6月頃の段階では『イスラム国なんてどうでもいい』と言っていた。
 ただ、その後、イスラム国が大きなニュースになっていくのを見て、『でかいネタになる』と考えたのかもしれない。もし救出できれば世界的なニュースですし、映像が番組で流されれば、10分間で200万円から300万円ほどのギャラをもらえますから」

 後藤さんの実兄(55)はこう説明する。「はっきりとした時期は覚えていませんが、両親が離婚したのは20年程前です。母はそれより前、健二が高校生くらいの時に世田谷の家から引っ越しています。健二も母とはかなり長い間、連絡を取っていなかったと思います」

 大学卒業後、日立子会社→ボディビルジムに転職、恵比寿店の経営を任される。

 ジムのオーナーはこう振り返る「1年くらい経った頃、会員の入会金と月謝、合わせて500万円もの額が、帳簿と合わないことが判明したのです。(中略)彼を問い詰めましたが、無言を貫くばかり。結局、それが原因でジムを辞めてもらうことになりました」
 「彼は(ジムと平行して)風俗店をやっていたのです。家賃20数万円の南麻布の高級マンションを借りていて、近隣住民から不動産屋に苦情がきたと聞きました。彼の周囲に聞いてみると、うちのジムでも女性をスカウトしていたんです」

 当時のジムの同僚が語る。「確かに後藤さんは羽振りが良かった。2万円もするランチを食べたり、プジョーを乗り回していました」

 番組制作会社で経験を積み、96年に独立。フリージャーナリストとして中東等へ。
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 なお、テロリストの脅迫画像に「Kenji Goto Jogo」という氏名が記されていたが、Jogoは、2番目の妻・城後倫子氏の戸籍に入っているためと分かった。戸籍上は、城後健二氏だったわけである。城後倫子氏はJICAの職員と報じられている。幼い子供を抱えておられるとのことでもあり、お悔やみを申し上げたい。
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