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2014年12月21日08:55

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人権127〜仏市民革命と国民国家の広がり

●フランス市民革命と国民国家の広がり

 アメリカの独立によって、イギリスという君主制の国民国家、またアメリカという共和制の国民国家が、大西洋の両岸に並立することになった。これに続いて、ヨーロッパ大陸に、第三の国民国家が誕生した。それが、フランスである。フランス市民革命は、先進国イギリスへの憧れと反発が変革の推進力となった。ディドロ、モンテスキュー、ヴォルテールらの英国かぶれは、半端でない。また、アメリカ合衆国の独立に強い影響を受けた。独立運動の指導者の一人フランクリンは渡仏して、独立戦争に協力を求めた。ラ・ファイエットは渡米して、独立戦争を支援し、帰仏後、アメリカ流のリベラル・デモクラシーをフランスの知識層・市民階級に伝えた。フリーメイソンの活動が強い影響を与えた。
 フランスの場合、市民革命で主権が国王から市民階級を中心とした国民に移った。この時点で、主権国家フランスの国民は、形式的な集団だった。パリの革命政府に参加している集団以外は、多くの国民に国民という意識がなかった。市民革命後のフランスでは、エスニックな一体性という意識より、政治的なネイションの意識が強かった。フランスのネイションは、近代市民社会の普遍的諸理念を共有する個人・市民によって構成される共同体と考えられた。自由・平等・友愛というシビックな理念が、諸階層や諸地方を結びつけた。だが、そのことは、フランスのネイションがエスニックな要素を持っていなかったことを意味しない。パリで政権に参加した市民階級の統治者集団は、自らの使っている言語・文化をもとに国民の実質化を進めた。彼らが、主要なエスニック・グループとなった。
 市民革命当時、後に標準フランス語とされる言語を話す人々は、全人口のおよそ半分だったといわれる。国民の言語は多様だった。この状態から、長い時間を経て、標準フランス語を国語として共有する国民が作られた。政府は公教育を行い、法制度を浸透し、徴兵制を行うなどした。 1804年のナポレオンによる統治改革を以て、国民国家が成立した。
 まず革命によって新たな政治権力が生まれ、その権力によって国民国家が一種の枠組みとして形成された。その後に、政府が国民の言語的統一、文化的同化、思想の共有を進めた。形式的な国民を実質的な国民に変えていった。国民の実質化が進むことによって、フランスの国民は、言語や文化を共有するエスニックな集団としての民族という性格も持つようになった。エスニック・グループは、固定的なものではなく、言語的にも文化的にも社会的にも変化する。
 フランスでは、パリ盆地を中心とする北フランスと地中海海岸部は、平等主義核家族が支配的である。南部のオック語地方は直系家族、ブルターニュ地方は絶対核家族が主である。支配的なエスニック・グループが、自由=平等を価値観することにより、普遍主義的な人間観を持つ。そのため、フランス思想の影響を受けた外国人は、フランス的なものを以て、普遍的と錯覚しやすい。だが、フランスで市民革命から生まれた国家は、国民国家の一つの類型にすぎず、模範でも基準でもない。フランスは、イギリスから政治・経済・思想等を摂取して、先進国イギリスに対抗した。フランスの政府もイギリス同様に植民地を獲得し、有色人種を支配・搾取した。しかもフランスの国民国家は、共和制に始まり、帝政、王政、再び共和制、また帝政等と政体がめまぐるしく変化した。イギリスやアメリカでの政体の安定性と比べると、とても典型的な国家形態とはいえない。だが、1830年の七月革命と48年の二月革命をきっかけに、フランス型の国民国家の思想が、ヨーロッパに広がった。
 注目すべきは、フランスにおける国民意識の形成もまたイギリスの場合と同じく、対外戦争抜きに考えられないことである。市民革命の混乱の中で、フランス国内では対立・抗争が激化していた。そこに諸外国が干渉しようとした。これへの対抗において、階層・地域・思想・利害等を超えたネイションとしての自覚が生まれた。繰り返される対仏大同盟が、フランスのネイションを鍛えた。自由・平等・友愛という普遍的な理念以上に、“共通の敵と戦う友”という運命共同体の意識が、ネイションを強固にした。“敵と友”は、政治学者カール・シュミットが政治的なものの固有の指標としたものである。ここでも、私たちは、対外的に発達するナショナリズムの高揚を見ることができる。しかも、ナポレオンは周辺諸国に侵攻し、フランス的価値観を広めようとした。これは国家発展段階における対外拡張型のナショナリズムである。
 一方、ナポレオン軍に侵攻された諸国、諸地域では、フランスのナショナリズムに対抗するナショナリズムが高揚した。敵の侵入、占領、支配に対し、団結して戦う中で、ネイションが形成された。
 ネイションには、ある普遍的な理念に基づいて形成された政治的な共同体という側面と、歴史・伝統に根ざした民族に基づく文化的な共同体という側面があり、国によって実態は異なる。私は、前者と後者に共通する顕著な傾向として、他の国家との戦いの中で、集団の共同性が強まり、国民の実質化が進んだことを強調したい。そして、人権は、対立・抗争し合う諸国民において、国民の権利として発達した。諸国民は、それぞれの権利をかけて戦った。その過程で国民個人の権利が獲得・拡大された。
 思想史的に見ると、18世紀のルソーは、デモクラシーとナショナリズムを一体のものとして提示する思想を説き、国民国家の理論を提示した。この点は、第9章の思想面の検討の際に述べる。

 次回に続く。

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