農家のクリスティナの実家、クライマックス近くでの場面。土下座は野田(大地康雄)向こう正面はクリスティナ(アリス・ディクソン)
内容を知らずに「恋するトマト」2005 をみたら、いきなり筑波山、それに霞ヶ浦となれば見なければならない。出だしは、農家への集団見合いツアーで、水田と野菜作農家の後継者、野田50歳は何としても結婚したいと必死に、タンゴを踊っている。「シャルウィダンス」のようであるが、その展開はシリアスな社会派であった。
この見合いツアーの観光で筑波山の近くまで行くので、見合いと関連付けるのかと思ったら通り過ぎてしまった。元祖集団見合いの歌垣の場所なのに、・・・そう言えば、ここは別に恋愛の神様と売り出しているわけでもなかったか。確かに、老舗には違いないのだが、出雲は縁むすびで売り出していた。その後、フィリピン・パブで知り合って結婚することにしたリバティ(ルビー・モレノ)の結婚詐欺にかかってマニラから帰れなくなり、ついにルンペンとなったが、踊り子を日本へ送り込む社長(看板はタレントあっせん)に助けられて、その仕事を手伝うことになる。早い話が売春ツアーやじゃばゆきさんのあっせんである。
ここで、結婚詐欺の様子はまことに具体的に描かれている。野田を農家の実家に案内し、両親や弟妹と結婚祝いをして、200万円を払って、次の朝結婚式のために行ってみると、もぬけの殻。隣に聞いてみると元々の空き家だとのことなのだ。
じゃばゆきさんの選定、日本からの売春ツアーに、日本への売春婦の送り込みなど、これもその仕組みがよく分かるようになっている。公平に、日本とフィリピン双方への社会勉強のためになるようにしてある。
これを見ていて、明治時代に、マニラへ日本農村の女をおくって女郎屋を経営していた「村岡伊平次自伝」今村昌平企画・講談社文庫1987年 を思い出した。私が読んだのは学生時代で、南方社版だったようだが。彼は、明治の男らしく、これは日本の貧しい農村のため、日本の南方進出のためとして、国士をきどっていた。日本の女は高いからな、と儲けの方にもがっちりしていたが。
タレントあっせんの社長の方は、ただ金儲けで、野田をひろったのも真面目で純朴そうだから、女性をだまし易いからだった。それが当たって事業は伸びていく。一方、元々農家の野田は日本から珍重されているリンゴやトマトを輸入して要路への贈り物にしていたのだが、このうちトマトはくずれやすくてだめだった。
そして、取引の場所にしているホテルのレストランで働いている女性(クリスティナ)が好きになり、彼女の実家の稲刈りを手伝ったり、日本から取り寄せたトマトの種でトマト栽培を始めるも、売春あっせん業だと知れて出入りを禁じられてしまった。
真面目に農業していれば結婚が難しい。土地を売った方がよい、・・・というのなら立松和平「遠雷」だが、こちらは国際化がからんでいる。そして、村岡伊平次がいうように、国際化は女性の進出に始まるらしい。つづいて、国際的に価値の高い日本の果物の進出に期待がかかる。
ところで、この映画の副題は「クマインカバナー」で、タガログ語の「ご飯食べない」というものだったが、その場面はとってつけたようにあっただけ。フィリピンのホスピタリティを見せたかったようだが、社会派に気をとられてこれは失敗だった。
原作は、小檜山博「スコール」1999 とのことだが、作者は札幌の人、土浦周辺地域がなぜ舞台になったのか・・・分からないが、クリスティナの住む農村と野田の農村が似ていることがポイントだったから、レンコンのある場所を選んだのかもしれない。
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