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2024年05月31日12:47

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「核のプロパガンダ」(暮沢 剛巳 著)読了

キュレーション(展示企画)の視点というのが実に新鮮。

「核」というのは、大量破壊兵器にせよ原発にせよ、互いに相容れない二元対立のイデオロギー論争になりがち。著者の専門は、美術・デザイン研究であって、政治論、戦略論、核物理・工学とはまったく無縁。だから、イデオロギーとも無縁。

原子力の展示といっても、原爆の被害を訴えるもの、平和利用としての原発の必要性や安全性を訴えるもの、果ては廃炉や使用済み核燃料の処理問題と、その立場も目的も多岐多様にわたる。

畑違い、門外漢の著者が、深く関わるきっかけは「万博」への強い関心だったという。「万博」は著者の主要な研究テーマ。その万博の近年の主要なテーマはエネルギー問題。もうひとつの関心は「ミュージアム」だという。著者は、しかし、キュレーションの視点で徹底しているので、読んでいるこちらの眼も次第に澄んでくるような気がしてくる。とにかく「原子力」の物理的、工学的、開発史的な基本知識や、第五福竜丸の被爆とそれをきっかけとした反核運動や、さらに3/11を含めた歴史経緯も的確かつコンパクトに俯瞰されていて、そのことだけでも勉強になる。

「プロパガンダ」というのは、政治宣伝や世論誘導のことだとネガティブに示唆する言葉だ。もともとは布教という宗教用語だったらしいが、レーニンやヒトラーなどの国家社会主義者によって政治用語として一般化した。原水爆禁止運動が分裂し無力化したのは、ソ連や中国の核開発を容認するかどうかの分断がその本質だった。核には、常にそういうダブルスタンダードがつきまとう。

そして、「核」をめぐる展示は、まさにそのプロパガンダの典型であったということだ。丹下健三の広島平和記念公園の基本概念は、彼が戦前に企画した「大東亜建設記念造営計画」とまったく相似するとの指摘や、岡本太郎の「太陽」礼賛は、日本の原発推進と軌を一にするもので、そもそも「太陽の塔」がシンボルとなった1970年の大阪万博は原発稼働と同期させられていたという指摘は鋭い。

そういうプロパガンダとしての「原子力」の展示には、徹底的に反面的なものが欠けている。それは、メリットに対するデメリットの表示であり、安全性や被害、廃炉、廃棄物処理に対する深刻な懸念の提示である。3/11後に、各地の原発の公報施設が休閑のままに放置され、あるいは閉鎖されているのはそのことを端的に示している。

結論ありきの構成になっているが、著者が今後を見据えているのは、第一章にある福島から宮城、三陸各地に点在する東日本大震災の災害を伝承施設とそれをネットワーク化する「3・11伝承ロード」なのだろう。

「プロパガンダ」への批判として、著者は、そういう「事故のミュージアム」の創設と充実に希望をつないでいる。


フォト


核のプロパガンダ
「原子力」はどのように展示されてきたか
暮沢 剛巳 (著)
平凡社
2024年2月21日 初版第1刷
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