私の今年のコンサートの〆は、田部京子さんのリサイタル。モーツァルト、ブラームスの最晩年の作品が続き、そして、シューベルトの最後のピアノソナタD960で締めくくる。年末最後にこの一年を振り返るのにふさわしいプログラム。最初のモーツァルトはとて
町田の小さなコンサートサロン、アートスペース・オー。小さなサロンで聴く音楽は、ちょっと特別の音楽体験です。間近な生音の持つ裸の音が聞こえてきて楽器の音がむき出しのままに迫ってきます。演奏者のこだわりのようなものも直接伝わってきます。そういう
木管楽器とピアノの人気のアンサンブル。それぞれ在京のトップオケの首席だったりソリストとして活躍する若手で結成。そもそも木管アンサンブルは珍しいが、一時的なセッションではなくて、固定メンバーで定常的に活動を続けているアンサンブルはなお珍しい。
いまショパンコンクールの日本人入賞者がクラシック音楽界の話題を席巻しているけれど、こちらは、ピリオド楽器によるショパンコンクールで栄えある第1回第2位を得た川口成彦のリサイタル。ショパン国際ピリオド楽器コンクールとは、同じくショパン研究所の
富山県のホームページに南北をくるりと回転させた「逆さ地図」というものが掲載されている。中国や朝鮮、ロシア沿海州といった対岸諸地域から見た日本地図。その中心にあるのは日本海であり、富山県は、その内海に向き合う地域の重心にあるというわけだ。その
このところ、鍵盤演奏や指揮もこなし、古楽からロマン派まで幅広いレパートリーを縦横無尽、八面六臂の活躍ぶりの鈴木優人だが、その面目躍如ともいうべきアンサンブルコンサート。もちろん、メインで注目は、後半の「ピエロ・リュネール」。ちょっと昔の話し
歌手陣、オーケストラいずれも充実した「マイスタージンガー」だった。まずは歌手陣。ベックメッサーのアドリアン・エレートは、はまり役。2013年の東京春祭でもこの役を演じて大喝采を受けていた。もし彼の来日が中止になったらどうしようかとハラハラし
篠崎さんは、つい二日前のN響定期でコンサートマスターで出演していてお見かけしたばかり。翌日は、N響が同じプログラムでの大阪公演のはず。今の演奏家というのは、こんなハードスケジュールを苦もなくこなしているのですね。すごいなぁ。前半は、北欧の音
久しぶりにオーケストラコンサートに出かけました。N響の首席指揮者にファビオ・ルイージが就任することが決まったとのこと。そのルイージがさっそくお披露目ということで、ご無沙汰しているN響定期に出かけてみようと思い立ったのです。それと、NHKホー
「ミカンの味」が面白かったので、同著者の名を世に知らしめた代表作も読んでみたいと手に取った。言ってみれば、モーパッサンの「女の一生」の現代韓国版といったところだろうか。モーパッサンのように劇的、社会的ではなく、ごく平凡平易で日常的、時代との
話題沸騰の書。明らかに人体を模した縄文土偶だが、その造形の奇妙きてれつさは類例がなく、長い間の謎でありありとあらゆる主観的直観的な類推が語られてきた。その土偶の「正体を解明した」と宣言する。土偶は、縄文人の姿でも、妊娠女性でも地母神でもない
念願かなっての初めてのオーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)体験。しかも、これも念願だった三鷹の風のホール初見参でした。OLCが創設されたのは2002年。年に2〜3回の定期演奏会を開催するなど活動を続けてきましたが、2019年のバルトルド
プロの、しかもトップクラスのピアニストのポジションニングの難しさということに、ちょっと考えさせられてしまいました。この日のゲストは實川 風(じつかわ かおる)さん。八塩圭子さんのインタビューにもはきはきと応え、物怖じせず快活によく語ります。な
アンデルシェフスキーが指揮も兼ねるとのアナウンスを早呑み込みしていたので、最初のプロコフィエフが指揮者なしでいきなり始まったことに度肝を抜かれました。この曲は、楽団10周年の記念公演(当時:紀尾井シンフォニエッタ東京)で、やはり、指揮者なし
海馬というのは、脳の一部で記憶を司ると言われている器官。形がタツノオトシゴ(英:“sea horse”)に似ているので、その分類学名“Hippocampus”がそのまま呼称となっている。つまりは、本書は人間の「記憶」をめぐるエッセイ。心理学は科学なのか?心理学
東京芸大在学中の2003年に、同級生3人で結成されたピアノ・トリオ。各自それぞれが自分の道を歩み、それぞれが確かな地歩を得た。ヴァイオリンの白井圭は、昨年、N響のゲスト・コンサートマスターに就任。チェロの門脇大樹は、神奈川フィルの首席奏者。ピア
いずれもフランスで生まれ育ったり学んだりという三人組。ピアノとフルート、ファゴットという組み合わせも異色のトリオ。ピアノの工藤セシリアさんは、お父さんがフルート奏者でフランス生まれ。そのお父さんとは、言わずと知れたあの工藤重典さん。お父さん
諏訪内晶子さんの一人旅。久しぶりの諏訪内さんだけれども、今まではコンチェルトばかりでオーケストラとの協演でしたが、今回はソロ。しかも無伴奏だし、小ホールで間近に聴けます。さらにもう一つ大きく違っていたのは楽器でした。これまで諏訪内さんは、日
ドイツ正統を伝えるピアニストとして希有な存在だったペーター・レーゼルの日本での最後の公演。もともとレーゼルは知る人ぞ知るという存在でした。東西分断の時代であっても、日本でも北米でもファンが多くいたのは、ドイツ・シャルプラッテン(クラシックは
秋になるとブラームスが恋しくなってきます。夏にはちょっと暑苦しい…ということの裏返しなのかもしれませんが、かといって春というわけでもない。やっぱりブラームスは秋が一番お似合いなのかも。それでもハンガリー舞曲というのはちょっと例外なのかもしれ
著者は、スコットランドの地方都市ウィグタウンに生まれ、大学進学で町を離れたが帰省中に古本店を買い取らないかと声をかけられ衝動買いしてしまう。ウィグタウンは、由緒ある歴史はあるが、ご多分に漏れず落ちぶれさびれた地方都市。著者は古書店主となった
100年以上の歴史を持つ、日本の誇るユニークなエンターテーメント宝塚少女歌劇に、これまた、新たな男役バイプレーヤーのキャラクターを打ち立て「オジサン」役に徹した天真みちるの「清く、正しく、美しい」女の世界の爆笑内幕本。自身も「誰も悲しまない
著者は、むしろ、音楽評論家としてのほうが名が通っている。本業は、日本近代政治思想史研究で慶応大学法学部教授。本業というより、家業とか生業というのだろうか。とはいえ、どちらで主たる生計を立てているのかさえも定かではない。そういう著者が、編集者
これは政治思想史の快作、会心の書。選書としては厚手の大部で通読には多少の骨は必要。だが、著者は独特の語り口で読ませてしまう。江戸から幕末にかけてという時代の、ありとあらゆる史実の雑多な切片が逆巻き、浮遊し、ぶつかり合う激しい歴史の嵐の混沌。
昨年以来、コロナ禍により休演やプログラム変更が続いてきましたが、ようやく首席指揮者のライナー・ホーネックとコンサートマスターのアントン・バラホフスキーが帰ってきました。二人の共演は、1年半ぶりのこと。このプログラムは、昨年6月に予定されてい
ここのところ日本の伝統芸能に足を運ぶことが多くなっています。今回は「普及公演」ということで、解説付きの公演です。以前、出かけた公演がたまたま解説付きの公演で、その解説がなかなか面白く本番鑑賞のよい助走になったので、今回も「普及公演」を選んで
久しぶりのフィリアホール。ちょっと遠くて往き帰りに時間がかかる。それで足が遠のいたのはコロナ禍以前のことでしたらもうずいぶんと経ちます。それが南紫音を久しぶりに聴きたいという誘惑に勝てず足を運びました。南紫音を聴くのも、これもまたほんとうに
マイ柱やアリオンアンプの出水電器の西蒲田試聴室がクローズする。そう聞いて、とにかく最後の聴き納めをしたいと、引っ越しの打合せでお忙しい島元社長にお願いして、ミニオフ会ということでお伺いしました。翌日から荷物の運び出しも始まろうかという、まさ
久しぶりの文楽です。今年は、国立劇場開場55周年にあたるそうです。たまたま、TVの人気長寿番組「笑点」を観ていたら同じように「55周年記念」ということで座布団を連発していたのを思い出し、ちょっとほっこりした気分になりました。最初の出し物は、
今年は、サン=サーンスの没後100年のメモリアル・イヤー。サン=サーンスといえば、学校の観賞曲だった「動物の謝肉祭」やその中からの「白鳥」とか、あるいはヴァイオリニストがよくお披露目にする「序奏とロンド・カプリチョーソ」、オルガン付の誇大な