川久保賜紀が、フィリアホールで3年かけてじっくりとベートーヴェンのソナタ全曲に取り組む。その第2回。 第1回目の昨年、あまりに素晴らしかったので、今年もぜひにとフィリアホールまでやって来た。城北のわが家からは青葉台は遠い。でも今年も来てよか
春一色…そういう季節にふさわしい紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)でした。 前半は、アナ・チュマチェンコさんを迎えてのモーツァルト。後半は、シューベルトの「グレイト」というプログラム。ほんとうにウィーンの花の季節を思わせるようなコンサート
紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)の公開リハーサルに行ってきました。今週末の第99回定期公演後半に演奏されるシューベルトの「ザ・グレート」。ほぼ仕上げの段階といった感じで、休憩をはさんで、1楽章ずつ全4楽章すべてをひとつずつ確かめるように
渋谷のタカギクラヴィアのサロンで聴いた1912年製のNYスタインウェイ。長富彩は、まだ二十代の新進ピアニスト。これが衝撃のピアノだった。ホールで聴くピアノとはまったく違う。そういう体験がまさに《衝撃》でした。このサロンでは、NYスタインウェ
新国立の『運命の力』がよかった。 オペラというものにまだまだなじみがなかった中学生の頃にトスカニーニの『序曲』を聴いて身も震えた。ベートーヴェンの『運命』も凄い演奏だけど、『運命の力』序曲はもっと凄い。いまでもそう思っている。 なのに、この歳
私にとって今年の東京・春・音楽祭(東京春祭)は、例年になく重量級のコンサートが続きました。メルニコフ、レオンスカヤとボロディン四重奏団といったロシアの本格派や、恒例となったヤノフスキーを迎えてのワーグナー「指輪」シリーズ、そして掉尾を飾った
客席を使った3次元的配置による金管群のバンダといえば、忘れられないのがシカゴ響での体験です。 もうずいぶんと昔のことですが、84年のクリスマスシーズンのファミリコンサートで、ジョヴァンニ・ガブリエーリのカンツォーナからの何曲かが取り上げられ
東京・春・音楽祭の最大のクライマックスとなる演奏会形式での「ワーグナー・シリーズ」も今年で6回目。昨年から開始されたマレク・ヤノフスキを迎えての『指輪』も昨年を上回る絶好調の快進撃となった。昨年も同じことを言ったが、歌手陣の充実振り、N響の
メルニコフのドビュッシーに興奮さめやらぬ翌々日、再び、上野に向かいました。今年の《春祭》のテーマは、生誕100年の節目にあたるリヒテル。そのリヒテルが、その生涯で何度も取り組んだのが、シューマンとショスタコーヴィチ。リヒテルと共に活動を続け
その斬新なまでの響きと音色の織りなす心象風景のアラベスクには戦慄さえ覚えた。ドビュッシーという芸術家の類い希なる革新性と孤高なまでの美意識が余すことなく表出されていて、その指先の触覚がそのままこちらの心の奥の核心にまで伝播して共振するような
女房殿が出かけるので車で駅まで送っていった。東京(成田)→(ヘルシンキ経由)→ウィーン4/ 4(土) ウィーン着4/ 5(日) ウィーン少年合唱団 ウィーン交響楽団 (指揮:Philippe Jordan バリトン:Mat
1910年製のプレイエルを弾くアレクサンドル・メルニコフのドビュッシーを聴いた。 その感動の深さと大きさは、衝撃的と言ってもよい。けれどもそう言うと本来の「感動」から離れてしまう。その音の光彩のめくるめくような多彩さと、そこから発信されてい