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2022年10月27日00:01

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「ウクライナ戦争の200日」(小泉 悠 著)読了

2月のロシア軍によるウクライナ侵攻で、一躍、脚光を浴びたロシア軍事研究家・小泉悠。評論家、作家、映画監督ら、各界の異色の人材たちと、侵攻開始後200日までを振り返る対談集。

対談だけに読みやすく、時事報道の枠組みにとらわれない自由な発想からの視点は多角的で、しかも、あえて直感的な意見も披露していて、この戦争の深淵を垣間見るところも多い。

中核を成すのは、やはり同じ軍事研究家の高橋杉雄との2回にわたる対談。5月の時点であっても、6月末の時点でも一貫していて、戦争は長期化するだろうということで二人の予想は一致している。

二人の議論は、21世紀になって起きた国家対国家の戦争が、冷戦終了直後の世論とは違っていて、20世紀の近現代戦の戦略・戦術論の繰り返しになっているということでも一致する。川とかズブズブの湿地など〈水〉を巡る攻防。次から次へと湧いて出てくるロシアの旧式兵器で、火力と兵力の消耗戦が続く。ドローンによって「目」の機能が格段に進歩しても、見晴らしの良い高地を巡る攻防というのも変わらない。

「『核の忘却』の終わり」という共著のある二人にとって、目下の関心は「戦術核の使用」というエスカレーション。やはり「核」は使えない兵器として忘却されるのか、あるいは、その脅威による抑止は働くのか。むしろ二人の懸念は、“それ見たことか”と各国の国内世論が核武装へと勝手に加熱していくことだ。

芥川賞作家・砂川文次とのマニアックな議論が痛烈に面白い。ロシアの弱点は、国土が広すぎることだという。ロシアの愛国心は、むしろ「郷土愛」や「同郷意識」に近く、国家的な動員につながらない。一方で、もともと多民族で渾沌としていたウクライナが今回の侵攻で一気に近代国家としての「愛国心」を獲得したというのは鋭い観察だ。ドストエフスキーの『地下室の手記』は、ギャグ小説だという。木っ端役人が地下に閉じこもり非合理な妄想に耽るというのは、社会主義の理念を失い、暴走を続ける今のロシアのギャグそのもというわけだ。いかにも小説家らしい発想で面白い。

映画監督の片淵須直との対談も考えさせられる。今回の戦争の新しい様相は、普通の生活感覚を持つ市民生活が戦争に巻き込まれるリアルタイムの映像があふれかえっている点だろう。生活と戦争をひとつながりに見せる『この世界の片隅に』私たちが居るという実感を確かに自覚し、戦争は相も変わらず市民を巻き込み、自分たちを不幸にするという大事なことに思い当たらせている。

情報社会論が専門の哲学者・東浩紀との対談にも考えさせられる。ウクライナ戦争は非常に古いタイプの戦争で、私たちの親や祖父母の時代にあったことを再帰させている。人間はたいした進歩もしておらず相変わらず残虐なことをする。それは、精密誘導兵器がピンポイントで対象を撃破するというTVゲーム的な思考や、米国一極のグローバル主義などのある種の清潔感のようなものに冷や水を浴びせかけている。バーチャル空間での情報戦といっても、ウクライナはもっぱら国際世論に働きかけ、ロシアは国内世論に働きかけ、両者はまったく交叉していない。対談の二人は、ともに、ロシアは絶対悪というような一方的な「善悪論」に陥ることを厳に戒めている。

物足りなさを感じるのは、ドイツ人TVタレントのマライ・メントライン、中国に詳しいルポライター安田峰俊との鼎談。メントラインはドイツのロシア観をあまり語りたがらないようだし、安田の表面的で深く刺さらない中国観察は、現代日本人の中国認識の希薄さという現実をさらしているようで冷や汗が出てくる。

これに較べると、同じように物足りなさもある漫画家・ヤマザキマリとの対談だが、こちらはさすがにイタリア人の親族を持つだけに彼らの血の通った複雑な内心がよく見える。プーチンをマフィアの親玉と見る視点には、血縁地縁や共通利益の結びつきが、国家の中に重層的に存在するロシアの政治構造が見えてくる。愛国心といえども決して一枚岩だとは見ないヨーロッパ人のリアリズムはやはりさすがとしか言いようがない。

軽い本だが、視点や思考を広げるには格好の酵素作用のような薬効がある。変わりばえのないニュースショーを見ていることに飽いたら、本書を手に取って読むとよい。


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ウクライナ戦争の200日
小泉 悠 著
文春新書
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