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2019年06月26日00:38

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バッハとバルトークとの間にあるもの (紀尾井ホール室内管定期演奏会)

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紀尾井ホール室内管に初登場の鈴木雅明は、バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の創設者で世界的なバッハのスペシャリストとして知られています。近年は、古典やロマン派の楽曲にもタクトを振るっていますが、しかし、初登場でバルトークとストラヴィンスキーとは…興味津々の思いで紀尾井に足を運んだのですが、これはもう大満足。いずれも、いままで聴いたなかでも最高に楽しかったし、触発されることも多々あったコンサート。

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第1曲は、モーツァルトのイ長調の交響曲。

イタリア旅行の成果として書かれた9曲の交響曲のなかでも最も親しまれている曲で、イタリア的な開放感と同時にモーツァルトとしてのアイデンティティが確かに感じさせるとてもチャーミングなイ長調交響曲。

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編成は、7−7−6−4−2の弦五部にホルンとオーボエの各2管が加わったシンプルな編成で、紀尾井では珍しい対向型・左低弦の配置。楽譜上のリピートは全て忠実。第一楽章の提示部の繰り返しはもちろん、その展開部も、続く第二楽章も第三楽章のトリオも、駆け抜けるような終楽章でさえ繰り返しを行いましたが、聴いていてけっしてくどくないのはさすが。いかにも古楽やバッハの大家らしい持ち味で、中庸なテンポのなかにイタリアやウィーンの享楽や美学と、古典派の謹厳実直さや疾風怒濤の情感との折り合いをうまくつけたような演奏でした。

さて…

時間がかかった舞台の配置替えのあいだ、かたずを呑んで待っていたバルトーク。

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編成は、4−3−3−2−2の弦五部を左右対称に配置し、中央正面にピアノ、その右手にチェレスタ、後方にティンパニを中心に4人の打楽器奏者が並びます。こういう左右シンメトリックなダブルオーケストラは、バッハも含めたヨーロッパ伝統音楽への隠されたオブセッションのような気がします。

第1曲は、変拍子と無調性的な旋律が不気味に動き回る不安のフーガ。その冒頭の瞬間からたちどころに魅せられてしまいました。そもそもアンサンブル上の難曲に挑むという緊張感がステージにも客席にも漲っています。けれども、あの無機質に響きがちの主旋律には熱い血が通っていて、ティンパニのドロドロのトリルが加わりやがてグランカッサの一撃とともにクライマックスに達するころには、そんなことを忘れてわくわくするような音楽の虜にされていました。そして、やがてチェレスタの響きのなかに立ち消えていく息づかいがとてもドラマチックなのです。

二重オーケストラなので、コントラバスは結果的にふだんの紀尾井ホール室内管の2倍の4台になります。その低域の厚みがいかにもこの曲の響きを充実させてくれます。モーツァルトとは好対照。それでいて全体としてはシンプルな編成なので、それだけに打楽器群の存在感が一段と大きいこの曲の持ち味がよく出ています。

第2曲のアレグロでは、武藤厚志(読響)の遠慮容赦のない思い切ったティンパニの打音が実に快感で、ハープやピアノが加わっての打楽器的要素がとても引き立ち、左右の弦がステレオ的に掛け合い絡む響きまでが躍動します。この当たりは、なかなかオーディオでは得られない生演奏ならではの迫力です。

第3曲は、いかにもバルトークらしいシンメトリックの遊び感覚。中央のピアノとハープが大活躍で、その細かい膨大な数の音符の緻密さと技巧は、「管弦楽のための協奏曲」の「対の提示」を上回る爽快なまでの快感を伴うのです。

そういうオーケストラの各奏者の挑戦への血のたぎりが、躍動と高揚感に煽られて、最終曲でついにその興奮の最高潮に達します。バルトークの即物的なアンチロマンと、そこに潜ませた伝統や民俗への強度の愛着や執着が炸裂。

バルトークの面白さを、まさかこのバッハの泰斗から教えてもらうとは。いつもは冷静で礼儀正しい紀尾井の聴衆は、割れんばかりの拍手で何度も何度も鈴木を呼び返します。休憩前の喝采でこんなに会場が熱くなるのは、このホールでも希なことです。


そういう思いが、さらに高まったのが、休憩後のストラヴィンスキーです。

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この曲は、あのロシア・バレエ団のディアギレフのアイデアによる、イタリアのナポリ楽派・ペルゴレージのパロディ。過去のイタリア音楽のリメイク路線の第三弾として作曲され、パリ・オペラ座で初演されました。指揮は、現代曲が得意なあのアンセルメでした。

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編成は、バロック期のコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)の形を模したもの。

コンチェルティーノ(ソリスト)として、千々岩英一(Vn�機法�玉井菜採(Vn�供法�安藤裕子(Va)、大友肇(Vc)の四人が中央に並行して四重奏のように並びます。その背後に扇状に弦四部が並びます。コントラバスは一番右手に五人目のコンチェルティーノの吉田秀(N響)と3人のトゥッティ。後方には管楽器群が並ぶのは近代曲と同じです。

のっけから闊達で自発的な演奏が展開され、千々岩を初めとするコンチェルティーノの典雅な響きに、広田智之(都響)のオーボエを始め個々の楽器がよく歌うのです。それは、我も我もと、のど自慢、腕自慢を競って前に出て来るイタリア人気質を感じさせて、実に楽しい。この名人集団のオーケストラはもともとそういう素質を持っているのですが、堅苦しいこと抜きで楽しもうよ、という闊達な雰囲気を引き出したのは鈴木の豊富なアイデアとタクトの力に違いありません。

声楽陣は、松井亜希(Sp)、櫻田亮(Tr)、与那城敬(Br)という鈴木の手兵BCJではおなじみのスター歌手。ところが、三人はそれぞれにシグナルカラーのバカ派手な衣装で次々に登場して、アリアを精確かつ軽妙に文字通りカラフルに歌います。いつもの謹厳実直なバッハから見事な変身ぶり。ステージ左手の椅子に適宜座っている間も身振り手振りの演技やつっこみは見ていても楽しい。

音楽がクライマックスに達したのは、ガヴォッタとヴァリアツィオニ(ガヴォットとヴァリアシオン)。

バレエで言えば、個々の踊り手が次々に妙技を繰り広げる場面です。ここでは管楽器群のソロやデュオが次々と登場してアンサンブルの妙技を繰り広げます。ここで、何と鈴木は途中で指揮台を下りてしまい、アンサブルにすべてを委ねてしまうのです。自分は、左手の歌手たちと一緒に足を組んで椅子に座り、ほらごらんという言うように演奏者を指さして拍手を送る素振りは、さながら劇中劇のノリ。最後の変奏で、フルートの相澤政宏(東響)と難波薫(日フィル)の二人の妙技と、それに壮絶なオブリガートをつける福士マリ子(東響)のファゴットに客席は沸きに沸いて、ここで何と曲間の大喝采とブラヴォーの連呼。

続いてのヴィーヴォでは、右端に居たコントラバスの吉田が大きな楽器を抱えて中央に歩み出ます。首元には、いつの間にかつけた巨大な金色のボータイ。定期会員の懇親パーティではいつも盛り上げ役を務める「秀さん」こと吉田のユーモラスな格好にそれだけでも会場は笑いに包まれます。その低音の諧謔的な舞踏で会場は大盛り上がり。見事な合いの手を入れていたトロンボーンの辻姫子(東フィル)の女性らしからぬ大胆でコミカルな低音がこれを引き立てる。ここでも客席から大喝采が湧き上がりました。

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こんなに徹底してカブきまくる紀尾井ホール室内管もなかなか見られない。最後に歌手陣の三重唱も加わり大団円を迎えて、ようやく最後の三度目の大喝采。

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音楽の楽しみよりもマナーの監視に煩わしい日本のクラシックファンを、曲が本来意図した諧謔の喜びへと誘い出した鈴木の演出に脱帽。

このバレエ曲には、もちろん、ストーリーがあります。まあ、他愛もないドタバタ話でストーリーも飛躍だらけでさしたる脈絡もない。そういう娯楽性は、洋のオペラにせよ和の歌舞伎にせよ、同じようなもの。お約束の場面になれば、個々の役者の妙技や振りで大騒ぎ。ストーリーなど知っていようが知っていまいが、楽しみ方はそれぞれ。

会場では、歌詞対訳のリーフレットがで配られていたのですが、生真面目な日本の聴衆がいつもよくやるように紙をめくる音は聞こえませんでした。この夜の聴衆は誰もストーリーなど気にせず、ステージに集中していたのではないでしょうか?そういうエンタテイメントの本質を久々に思い起こさせた秀逸な音楽会でした。





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尾井ホール室内管弦楽団 第117回定期演奏会
<ミュトスとロゴス�� アポロンに寄せて>
2019年6月22(土) 14:00
東京・四谷 紀尾井ホール
(2階センター 2列13番)

鈴木 雅明(指揮)
紀尾井ホール室内管弦楽団
(コンサートマスター:千々岩英一)

モーツァルト:交響曲第29番イ長調 K. 201
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106, BB114

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「プルチネルラ」(全曲)
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