川久保賜紀さんは、ベートーヴェンのソナタ全曲シリーズで魅了されて以来のことで3年ぶり。久々の再会ということに加えて、小菅優さんとの共演して今度はブラームスに挑戦ということで胸をわくわくさせてフィリアホールに向かいました。
川久保さんのヴァイオリンは、音色が多彩で千変万化。ニュアンスに富んでいてしかもくっきりと明瞭な美音なのでとても魅力的。

もともと米国生まれの米国育ちということもあるのか、音色が明るく口調も明快。チャイコフスキーコンクールに最高位入賞を勝ち取る以前にはドイツにも留学していましたが、やはりアメリカ的な開放的な明瞭さが魅力だと思います。そういうスタイルが、どちらかと言えば難渋で韜晦というイメージの強いブラームスでは、その音のパレットからどのような音色を選んでどういう演奏を聴かせてくれるのだろうか…、そういう期待で胸が膨らみます。
第一番のソナタが完成された時、ブラームスは40歳半ば。すでに交響曲第2番やヴァイオリン協奏曲も作曲されていました。慎重で筆の遅いブラームスにとっても特にこのジャンルは遅かったのです。それ以前には、破棄された作品もあり共作の「FAEソナタ」のスケルツォなども書かれていますので、むしろ円熟味あふれる作品。
標題の「雨の歌」は、ブラームス自身が作曲した歌曲の旋律を第3楽章に使用しているからで、標題もブラームス自身がつけたものです。この歌曲は、クララ・シューマンが特にお気に入りだったそうです。夫シューマンを亡くしたクララをずっと気遣い何くれと世話をしてきたブラームスですが、クララあての書簡にもこの曲のことが触れられ、一方のクララも「あの世にもっていきたい曲」とまで述べて絶賛したそうです。この曲には、そういうロマンスが満ちあふれています。
川久保さんは、そういうブラームスを、とても流麗に叙情的に弾きます。第1楽章の哀愁がとても心地よく、やがて、それが情熱へとなってほとばしる。そうは言っても、決して激することなく胸にあふれ出るような感情であってとても若やいだ艶があって優美です。そのことは第3楽章の感傷に満ちた「雨の歌」の旋律でも同じ。確かに、《若い未亡人》の秘めた恋をなまめかしく感じさせます。
第2番は、ちょっと他の2作品に較べると地味な印象があって演奏される機会も少なめなような気がします。それでも、ブラームスの哀愁と優美さがあります。ブラームスの魅力は、そこからしばしば湧き上がってくるような感情の高まりにあるのですが、この作品はむしろ安堵に満ちた大らかさがあります。川久保さんは、そういう伸びやかで落ち着いた情感をとてもよく表現していたと思います。
第3番のソナタは、その2番に続いて作曲されましたがブラームス晩年の孤独で内省的な魅力を湛えています。その間のわずかな時間に大きな心境の変化があったのでしょうか。聴けば聴くほど魅力的なヴァイオリンソナタ。ブラームスの晩年の作風とは、ともすれば孤独感とか哀愁、あるいは老境の枯れた心境というような美辞で飾られますが、川久保さんの演奏を聴くと、どこまでも磨き込まれた美意識の中に第1番と共通の熱い憧憬の感情の高まりがあって、聴いていると本当にドキドキしてしまいます。第1番が《若い未亡人》ならば、第3番は《老いた男やもめ》なのかもしれません。昔日の初恋や苦い離別への悔恨に満ちています。

小菅さんのピアノは、そういう川久保さんのヴァイオリンに寄り添い、細やかな気遣いに満ちていました。こうして聴いてみるとブラームスのソナタは、ベートーヴェンのような対決型ではないように思います。しかも、ピアノがちょっとだけ後ろに下がってのデュエットであって、単旋律楽器のヴァイオリンの和声を巧みに補っているようなところがあります。対話的で、しかも、その対話には距離的、あるいは時間的な隔たりがこめられている。その応答は、まるで遠い地から届いた手紙のようであったり、過去の思い出から呼びかけてくるよう。そんなデュオの立ち位置を、小菅さんのピアノが素敵に演出していました。
ブラームス(そしてシューマンだって)が決してお高くとまっていたわけではないと、最後のアンコールはがらりと雰囲気が変わります。ブラームスの「ハンガリー舞曲」は、ロマの音楽をもとにした編曲とも創作ともつかぬ作品ですが、飛び切りのエンタテインメント性を発揮します。最後に、川久保さんも小菅さんもまるで飛び跳ねるかのようにはじけて、ぱっと開けたようなオール・ブラームスのリサイタルの終演でした。

土曜ソワレシリーズ《女神との出逢い》第274回
川久保賜紀&小菅 優 ヴァイオリン&ピアノ デュオ・リサイタル
2018年7月7日(土) 17:00
横浜・青葉台 青葉区民センターフィリアホール
(1階 9列9番)
川久保賜紀(ヴァイオリン)
小菅 優(ピアノ)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調op.78「雨の歌」
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調op.100
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調op.108
(アンコール)
シューマン:3つのロマンスより第2番op.94-2
ブラームス(ヨアヒム編):ハンガリー舞曲第5番
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