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2018年05月11日22:14

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Impressionen aus Paris<パリのおもむき>(ペーター・レーゼル ピアノ・リサイタル)

レーゼルと紀尾井ホールとの絆は深い。

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「東ドイツの名ピアニスト」としてクルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管のソリストとして来日したことはあったが、2007年の紀尾井ホールでのリサイタルで「知る人ぞ知る旧東ドイツの名ピアニスト」として聴衆を魅了し、そのいぶし銀のような存在感と、崇高で思慮深いピアニズムが日本でも再評価され一気に知名度が高まった。

以来、紀尾井ホールでは、4年をかけて完結されたベートーベンのソナタ全曲演奏会や紀尾井シンフォニエッタ東京 (現・紀尾井ホール室内管弦楽団) とのベートーヴェン、ブラームス、シューマンなどの協奏曲の共演など、一貫してドイツ系音楽を重点的に取り上げてきた。

それが、今回は、一変してフランス、パリにまつわる音楽をテーマにプログラムを組んだ。ドイツ音楽、しかもとびきり「硬派」のイメージのあるレーゼルにしてみれば趣きをがらりと変える内容だし、聴衆にとってみれば意表をつくプログラムであり、ある種の挑戦でもあるだろう。それもこれも、紀尾井ホールとその聴衆との深い信頼関係があったからこそなのだと思う。ホールは満席でした。

プログラム最初のモーツァルトのソナタは、かつてはパリに旅行しそこで作曲されたものと信じられていて、実際にレーゼルの趣旨もそういうことだそうだが、現在は、パリから帰還した後の1783年、ウィーンに赴く途上のリンツで作曲されたものというのが定説になっている。けれども、パリ旅行(1778年)は同行した母親をそこで亡くすという不幸もあってモーツァルトの音楽の大きな転機となったし、ザルツブルクの古くさいしがらみを逃れてウィーンへと出奔する遠因となったことは間違いない。

レーゼルのモーツァルトは、軽やかでしかもまろやかな音色で、思わずはっとさせられた。確かにいままでの「ドイツ的」なイメージのレーゼルとは違う。いままでにないような真っ白な羽毛のようなタッチは、これが確かにエトランゼとしてのパリのモーツァルトのイメージなのだろう。

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プログラムの中核に置かれたのは、今年が没後100年にあたるドビュッシー。

パリが「芸術の都」として君臨した19世紀末から20世紀、パリは、万博などを契機に異国情緒豊かな文化が流入し、ヨーロッパなど各国から若い芸術家たちが集まり新たな芸術の潮流を創造していった。そこにはエトランゼ(異邦人)というアウトサイダーと、エキゾチシズム(異国文化)を取り入れるインサイダーが対峙する熱い坩堝だったのだと思う。モーツァルトの音楽が旅人としてのアウトサイダーなら、ドビュッシーは純然たるインサイダーだったと言える。そういうドビュッシーをアウトサイダーのレーゼルはどのように弾くのだろうか。

「版画“Estampes”」は、静止画のような一瞬の感覚や雰囲気を表現した映像的音楽という意味合いで印象主義(“Impresionism”)のドビュッシーの代表昨だと思う。

日本のいわゆる浮世絵という木版画のプロセスは、版下絵を描く《絵師》、版木を彫る《彫師》、色をつけて刷る《摺師》に分けられる。レーゼルのドビュッシーを聴いていると、それは彫師に徹しているのだと感じた。ピアノのタッチの一瞬、一瞬に禁欲的なまでに彫琢を凝らしていて透明度の高い音の輪郭や粒立ちがよく聞こえる。ことさらに絵全体の構成や物語を語るのでもなく、あるいは感情的な彩色や和声的な変遷を強調することもない。一瞬の感覚や雰囲気は、やはり、砂粒のような一瞬のタッチで語られる、そこにこそ永遠が宿る…とでもいうかのようなドビュッシー。

そのことは「子供の領分」でも同じ。愛娘エマのために書いた曲と言われるが、そこにはシューマンのような詩情やファンタジーというものとは対極を成すような感覚的で非文学的な世界。音楽だから時間芸術であることは間違いがないけれども、その動きは、モビール({動く彫刻」)のように、細動的で循環的。それは最後の「ゴリウォークのケークウォーク」でも徹している。インテンポで、クレッシェンドなど強弱のグラデーションの指示にはあまり忠実ではなくて一音、一音の音素によって強弱を弾き分けている。音の彫刻なのだ。それが、アウトサイダーの目から見たドビュッシーなのだろうと思った。そのことが、やはり日本人の私にはとてもわかりやすいドビュッシーとして楽しめた。

最後のフランクが圧巻だった。

ネーデルラントのリエージュ(現ベルギー)生まれのフランクは、パリ音楽院に入学するために一家でパリに移住しフランス国籍まで取った。当時、外国人はパリ音楽院に入学が許されていなかったからだ。ピアノを学んだにもかかわらず、演奏家としても作曲家としても成功せず、オルガニストに転じて雌伏の時期を過ごす。まさにアウトサイダーだった人だ。

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「前奏曲、コラールとフーガ ロ短調」は、そういうオルガン技法の影響が大きく、しかもフランクは手が大きかったので、レーゼルでさえ和音を「掴む」のが難しく分けて弾かなくてはならない部分があるそうで、大変な難曲だという。けれども大聖堂の響きを思わせるような堂々としたスタインウェイの輝きと影が交錯する音色は見事だった。その音楽には、やはりアルザス生まれでドイツからフランスに帰化した指揮者のシャルル・ミュンシュのようなパリ人ではあっても、どこかドイツ的でオルガン的なところのあるアウトサイダーの香りが濃厚だった。

アンコールは、モーツァルトの「トルコ行進曲」とドビュッシーの「ベルガマスク組曲」から「月の光」。インサイダーに響いたエキゾチシズムを最後のデザートに置いたことで、気分が中和され穏やかな高揚感がいつまでも余韻をひいた。





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ペーター・レーゼル ピアノ・リサイタル
Impressionen aus Paris<パリのおもむき>

2018年5月8日(火) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階10列14番)

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第13番変ロ長調KV333
ドビュッシー:版画

ドビュッシー:子供の領分
フランク:前奏曲、コラールとフーガ ロ短調

(アンコール)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番K.331より第3楽章 「トルコ行進曲」
ドビュッシー:ベルガマスク組曲より第3曲「月の光」
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