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2017年07月07日13:47

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阿里山森林鉄道と神木 (台湾旅行記 その9)

台湾旅行の続きです。


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嘉義の夜市を楽しんだ私たちは、翌朝、嘉義駅に戻って今度は阿里山を目指して森林鉄道に乗ります。

阿里山も台湾人には人気の観光スポット。「阿里山」というのは、特定の山を指しているわけではありません。尖崙山、祝山、対高岳山、大塔山、塔山などいくつもの山々がある高山地帯の総称。日本統治時代の1934年には、台湾最高峰の玉山(旧称・新高山)とともに新高阿里山国立公園に指定され、現在も台湾の国立公園となっています。

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ふもとに当たる台北や嘉義からバスに乗るのが一般的ですが、その登山鉄道である阿里山森林鉄道(森鐵)もなかなかの人気で切符は予約が必要です。

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台湾にも鉄ちゃんがたくさん居るようですね。もちろん、この素朴で愛らしい登山鉄道は人気者です。

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今でこそ、日本の大井川鉄道と姉妹関係を結ぶ観光目的の登山鉄道ですが、もともとはその名称の通り「森林鉄道」でした。「森林鉄道」とは、木材を切り出して運搬するための鉄道です。1900年に日本人によって阿里山の豊富な森林資源が発見され、1904年には林学博士の河合琴山により調査が進められ、標高1800m以上になると樹齢千年を超えるタイワンヒノキ(紅檜)が多く自生していることがわかり、森林開発が進むと大量に伐採され日本へ運ばれました。すでに日本ではこれほどの巨木は稀少となっていたので、靖国神社の神門や橿原神宮の神門と外拝殿、東大寺大仏殿の垂木など、日本の多くの神社仏閣に阿里山のタイワンヒノキが使われています。

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森林鉄道は、伐採が進むと支線は廃線となりまた新たな支線が建設される。蒸気機関が主要な動力であった時代には林業においても鉄道が無くてはならないものでした。阿里山のみならず日本全国にどんどんと森林鉄道が敷設されていきます。やがて、自動車が運搬の主役になってくると合理化が進み、森林鉄道はあっという間に林道に置き換わっていきます。日本で早くも森林鉄道全廃に踏み切ったのは、戦後間もなくの東京大学の北海道演習林(富良野)でした。1975年には本州最後の鉄道が廃線となり、今では、屋久島などほんのわずか残されているだけ。阿里山森林鉄道は、住民の足や生活物資の運搬にも使用され、林業が衰退した今日まで残存してきました。

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高山鉄道特有のスイッチバックやUターンなど様々な仕掛けがあって楽しいのですが、ループはあまりにも巨大過ぎて乗っているとあまり実感がわきません。それでも、みるみる高度が上がり、緑の林から視界が開けていく車窓は飽きることがありませんでした。

実は、森鐵は何年も前の嵐で鉄路が寸断されて全線が開通していません。それを覚悟で乗りましたが、やっぱり嘉義からの本線の終点である奮起湖からの乗り継ぎに苦戦しました。奮起湖は、路線の拠点駅でここでスイッチバックするのですが、この先が不通。嘉義からのバスがここに立ち寄るはずなので、ここで昼食休憩ということにします。

駅周辺は、阿里山観光のちょっとしたスポットになっていてなかなかの賑わいです。

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ところが、バスは待てど暮らせど来ません。満員だとここをパスして幹線道路をそのまま行ってしまうというのが当たり前のようです。体のいい間引き運転。バス停の待ち合いでもだんだんと騒然としてきて、英語が通ずる親切な若い女性とか、タイから来たといういささか威勢のよい一行と話しをしながら、仕方なく乗り合いバスに乗ることにしました。まあ、いわゆる白タクですが仕方ありません。台湾人も乗るので、外国人観光客をカモにするぼったくりではないようです。まあ、公共交通の補助的必要悪みたいなものです。それにしても台湾人の親切なことには感謝です。

これでようやくホテル最寄りの沼平駅までたどり着きました。

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ホテルは、森林散策にも便利な立地で眺めも素晴らしい。

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さっそく辺りを散策しました。森林をめぐる遊歩道の入口近くには、各種の桜の木が植わった公園があります。2月末だというのに一部の山桜が可憐な花を咲かせています。

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森林内の遊歩道はよく整備されていて快適。あちらこちらに樹齢数百年のタイワンヒノキの巨木があってそれをひとつひとつ見上げながら森林浴です。

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ホテルに戻って夕食前の一服ということで休んでいると、窓外次第に真っ赤に染まっていきます。阿里山名物のひとつである、雲海の入り日がホテルから眺められたのは幸運でした。

さて、翌朝は、その逆でもうひとつの名物である御来光を見に行きます。

(続く)
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