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2017年01月11日16:17

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「オーケストラの経営学」(大木 裕子 著)読了

芸大卒でヴィオラを学んだ元オーケストラ楽団員という異色の経営学者によるオーケストラの組織論、マーケッティング戦略論。

オーケストラに限らないことだが、古今東西、音楽やその他の芸術一般にとって金回りと芸術の両立は難しい。その多くは、古くから王侯貴族や資産家、国家や自治体などの公共機関などの支援を得て成立してきた。コストと収入はもともと見合わないのだから、そもそも経営学というものはそのままでは当てはまらない。合理性に欠ける世界なのだ。

例えば、音楽家というものは、かなり富裕な家庭に恵まれなければ教育を全うし才能を開花することはできない。それでいてプロとして音楽によって生計をたてるのは並大抵のことでは成り立たない。つまり、投資に見合いの効果はなかなか得られない。それでも音楽家を目指す婦女子は後を絶たないし、音楽家というのはなかなか気位が高い。収支のバランスに無関心だし、ひとりひとりの経済的・芸術的ゴールもまちまち。

そこに「経営学」がメスを振るう余地は少ないのだが、このオーケストラの存続基盤の危うさは、クラシック音楽ファンにとっては一大関心事でもある。オーケストラの財務体質も、会計学的分析では説明もつかないし、対策も出て来ない。とはいえ、実際的なマネジメントの巧拙が、組織としてのオーケストラの盛衰を決めていることも確かだ。

本書は、そういうオーケストラの成り立ちの構成要素や、その間に存在するモチベーションやコンフリクトを平明に示してくれている。

N響の定期会員の平均年齢は50〜55歳、年齢別の山谷は年とともにそのまま確実に歳を重ねているだけだそうだ。本書が書かれたのが2008年のことだから、この論法でいけば2016年現在の平均年齢は60歳を超えていることになる。しかもN響の常連というのは「演奏曲は会場に行ってプログラムを見るまで知らないし、期待もしていない」「昼寝するのにちょうどよいのに、マーラーとかを演奏されると困る」と言ってはばからないという。会員の高齢化と空洞化に対して著者は、リピーターの確保とともに若年層のエントリー促進の必要を説く。確かに東フィルなどは初心者向けの名曲コンサートで若年層のファンを掘り起こし、一方で定期公演では目新しいレパートリーにも果敢に挑戦してリピーターも確保している。

しかし、N響のように空席が目立つのに定期会員になるのは難しいという矛盾には何の対策にもならない。せっかく若年層がエントリーしようとしても「定期会員券は自動的に銀行口座から引き落とされるからとくにやめる動機もない」という高齢会員に阻まれてしまう。イギリスでは大手企業がスポンサーになってS席の一角を格安で提供する若手限定のチケットがあるという。ウィーンでも、どんな一流人気演奏家のコンサートであっても当日発売の立ち見席が必ず用意されている。アメリカでは、キャンセルチケットは寄付とみなして会員の節税となり、チケットは一般に再販される。そのことも紹介してほしかった。

オーケストラの内部マネジメントの事例として詳しく紹介されている「オルフェウス・プロセス」が興味深い。ニューヨークで活動するオルフェウス室内管弦楽団は指揮者をおかない。そのリハーサルが四段階に分けられ、演奏曲目の選択からテンポや強弱などの設定、全体練習まで全てが現場に委され自主的に運営されているという。コンサートマスターは交代制でプログラムごとに音楽的リーダーシップが替わり、演奏者の自主性と音楽性が磨かれる。こうしたシステムは、水戸室内管弦楽団や紀尾井ホール管弦楽団でも取り入れられるようになった。

平明に書かれていてオーケストラのマネジメントの実態がよくわかる。反面、データやケースの掘り下げが浅くて表面的。切り口の鋭さにも欠ける。裏事情や様々なエピソードが描かれていればコアな音楽ファンを喜ばせただろうが、名指揮者の流儀紹介なども言わずもがな。音楽書としても経営書としてもちょっと中途半端。


オーケストラの経営学
京都産業大学経営学部准教授・大木祐子
東洋経済新報社

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