mixiユーザー(id:26897873)

2016年12月27日12:47

335 view

「坂の途中の家」(角田光代著)読了

日常と非日常は密接につながっている。平凡な日常のなかに潜む心理が、ふとしたことで坂道を滑り落ちていき、その果てに残酷な地獄がぽっかりと蓋を開けて待っているかもしれない。正気を保とうと気を張っていても、いつしか冷静さを失いかけている自分に気づき、このまま情緒が破綻していくのではないかと恐怖する。

そういう日常と非日常の連続性の恐怖を、幼児虐待と裁判員制度という実に今日的な社会問題を巧みに絡み合わせた心理サスペンス小説。子育ての悩み、幼児へのいらだち、夫や姑の何気ない言葉に傷つく自分というのは、誰もが通る道だから、この小説に思わず感情移入して、自分の記憶と重ね合わせ、ある種の重苦しさに追いつめられ戦慄する読者は多いのではないだろうか。

主人公の里沙子は三歳になる娘の反抗期に手を焼き思い悩んでいる。そこへ裁判員候補者に選ばれたとの通知が届く。平凡な家庭の主婦であるはずの里沙子はとまどいながらも、補充裁判員として裁判という非日常の世界に否応もなく引きこまれていく。

裁判の被告人は、里沙子と同じ若い母親で、育児ノイローゼに悩み苦しんだ果てに、わずか生後八ヶ月の娘を風呂の湯船に落として死なせてしまう。はたして殺意はあったのか、あるいは夫や姑など周囲に追いつめられての果ての犯行であって情状酌量の余地はあるのではないか。あるいは法廷での自己防衛に過ぎず子殺しの本性を偽っているのか。様々な証人の言い分は食い違い、被告の態度や証言も揺れ動き、何が真実かはわからない。何が本当なのかと詮索するうちに、里沙子は次第に被告の立場と自分とを重ね合わせていく。自分も子供を死なせた母親と同じではないかと次第に自分をも追いつめてしまう。

平凡な日常のリアリティにあふれているだけに、読んでいても自分の日常や過去に潜む危うさを思い、様々な連想や回想に不安と痛みに苛まれていく。そういう不思議な筆致にたじろいでしまう。そのことは、この本の読者を女性とか子育て世代に限定するわけではない。仕事上のことで思い悩んだ経験のあるひとであっても、性別に限らず同じような心理構造は経験しているはずだ。

そういう心理的サスペンスとしての作者の筆致は冴えわたっている。

一方でエンターテインメントとしては完成度はやや落ちる。本当の犯人は、実際に子供を手にかけて裁かれている母親ではなくて、夫や姑なのではないか…?そういうサスペンスの逆転は起こりそうでいて起こらない。里沙子が深めていった心理的な危機は、裁判の最終日にはあっけなく何事もなかったような平凡な回帰で終結する。「八日目の蝉」のような巧みなプロットは見られない。そういう意味で、つらい不快な読後感ばかりが後味を引くように残ってしまうところもある。





坂の途中の家  角田光代 著
朝日新聞出版

7 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する