ウィーン・フィルのコンサートマスターを45年間勤め上げてきたライナー・キュッヒルが、今年(2016年)の8月末をもってその地位を退くこととなった。本書は、その退任記念本というわけだ。
といっても内容は、『音楽の友』誌で2008年4月号から2010年3月にわたって連載されたインタビュー記事を一冊にまとめたもの。連載後に掲載されたザルツブルク音楽祭とウィーンの劇場の紀行文が加えられているが、内容は他愛のないもので、キュッヒルの音楽観や音楽人生の機微を丹念に書き留めた「手帳」のようなものを期待するとほんとうにガッカリする。「音楽手帳」というのは看板に偽りありで、単行本の標題としてはいかにも不適切。
確かにキュッヒルという音楽家は、謹厳実直なオーケストラの一員で、何の愛想もないらしい。真面目で勤勉であることは間違いなく、私も、今年の5月、その精励ぶりに舌を巻いた。私が、4日間、連日通った歌劇場と楽友協会でのそれぞれ違ったプログラムでたった一夜を除いてすべてにコンマスを勤め、しかも、この本で言うようにピットやステージに誰よりも早く現れて一心に楽譜をさらっている姿は際立っていた。
心底には、指揮者にカリスマ性を求め、あたかも指揮者がオーケストラの全てを牛耳り、命を吹き込んでいるかのように言う風潮には強烈なアンチテーゼを持っているらしく、あまりファンが喜ぶようなことは語らないひとのようだ。興味本位の質問にはにべもない。
それだけに辛辣なひと言もけっこうあるようで、例えばカール・ベームは「若い人を苛める悪い癖」の持ち主だと批判しているが、これは自身が若くして栄光の地位についた頃にモーツァルトのテンポ感をめぐって衝突した時の話しだけで終わっている。もしキュッヒルの音楽観を引き出すのなら、それぞれにどのような見解の相違があって両者はどのように解決したのか、ウィーン・フィルの音楽とはどのように造られるのか…を聞いてほしかったが、インタビュアーにはそのような力量や見識も意欲もない。一言居士のキュッヒルにあれこれ私的な感想のようなものを付け加えるだけ。
真知子夫人が加わってのインタビューや、ウィーンの大学で写真を学んでいる娘さんのスナップ写真などは和気あいあいとして楽しいが、夫人とのなりそめや日常などは真知子夫人自身の著作を読んだ方がよい。
とにもかくにもウィーン・フィル!というファンであれば、小難しいことは言わずに、退任の記念に本書を求めてお祝い代わりの印税に貢献すべし…ということだろう。
キュッヒルの音楽手帳
ウィーン・フィルとともに45年間
−−−名コンサートマスター、キュッヒルの音楽手帳
ライナー キュッヒル/野村 三郎 (著)
音楽之友社
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