今日はウィックの街の蒸留所見学です。
ツアー予約時間までには少し間があったのでウィックの北郊外にある廃城を訪ねてみました。
こんな草野原の果てに、ほんとうにそんな歴史のある古城があるなんて半信半疑でしたが、途中で犬の散歩中のおじさんに尋ねると確かにこちらの方角なのです。10数年前にこんな田舎で出会ったお年寄りと話してもまったく言葉が通じませんでしたが、今回はどこへ行っても会話がとてもスムーズ。スコットランドの独立騒ぎの一方で同化が確実に進んでいます。
あ、あった…
草原の果てにはやはり切り立ったような崖があって、そこには至る所に鋭く切り込んだような入江があります。
そこが天然の要害であり同時に交易や補給の拠点となる港でもあったのです。ここは北海を隔てたノリウェーとの交流と抗争の歴史で、イングランドからの距離に較べて大陸への親近感を感じさせて、スコットランド地方の微妙な歴史的な立ち位置が垣間見られます。
私たちが目指すオールド・プルトニー蒸留所は、ウィックの町中、港を見下ろすような高台の一角にあります。
19世紀前半、ウィックの港はニシン漁で空前の賑わいとなります。夏を迎えるとヨーロッパのニシン漁の中心地となり1840年代まで1000隻以上の漁船が港を出て操業し、そのニシンは塩漬けにされてあるいは燻製にされ樽に詰められイングランドやバルト諸国へと出荷されました。町には出稼ぎ労働者があふれ、そうした荒くれものたちは当然のように日々をアルコール浸りになります。大漁が続くと一日あたり500ガロン(2,275リットル)以上のウィスキーが消費されたといいます。
この猛烈な需要に応えるために1826年、密輸業者が現地に蒸留所を設立。その名はウィックの開拓者にちなみます。他に燃料もない土地柄で、あらゆるものがピート炊きされて、そのウィスキーは荒くれた労働者にふさわしく恐ろしくピーティな怪物だったという。
そのブームは激しい破綻を迎えます。ニシンの大群は去り不漁に追い打ちをかけるように第一次大戦が勃発し漁船は軍に徴用されて二度と帰ってくることはありませんでした。飲んだくれの失業者の群れで荒廃した町にはついに禁酒法まで施行され蒸留所は休止に追い込まれます。
しかし、バルブレアとともにこの蒸留所を買収したハイラム・ウォーカーによって、歴史の大波にもまれ続けたプルトニーは大きな復活を遂げることになります。名マスターブレンダー、ジョージ・ロバートソンが生んだ名品バランタインの魔法の7柱と呼ばれる原酒のひとつにこのオールド・プルトニーが選ばれたからなのです。かつて、銀鱗に輝くニシン詰めた木樽は「銀の樽(Barrel of Silver)」と呼ばれましたが、それに代わって金色の液体を詰めた木樽は「金の樽(Barrel of Gold)」として町の経済を潤すことになったというわけです。
この蒸留所のキャラクターともなったひょうたん型をした巨大なポットスチル。
愛らしいボトルの形もこのポットスチルの形状を模しています。
ここの板式熱交換器(PHE)はドイツ製。これまで巡った蒸留所がそれぞれに違うメーカーの熱交換器を使っていて、偶然とはいえ欧州の三大PHEメーカーが勢揃いというのはちょっと面白い。
蒸溜したアルコールを液体に戻すコンデンサー(凝縮器)はやはり建屋の外にあって、ここでは水平に配管された巨大な箱形のもの。
給水、排水は傾斜地を利用して自然に流れるようになっているとのこと。
かつての荒くれた歴史からするとその味わいは、意外に品があってココナッツやチョコレート、マンゴーの香りなど複雑。ちょっとオイリーな香りやバターの味わいはポットスチルの上部管の曲がりかたと中間のタンクに秘密があるそうです。その奥からほのかに塩気のある海のほてりを感じさせるのは仕込み水のせいだそうです。
熟成庫は、大がかりなラック式のものと、昔ながらのダンネージによる3段積みと2タイプあります。
ここでは倉庫に入っても酔うほどのアルコール香はしません。12年ものはバーボン樽のみで熟成され、17年ものはバーボンからシェリー樽に詰め替えられてさらに熟成を重ねるとのこと。
ニシン漁の栄枯盛衰とウィスキーというのは、北海道・余市にも通ずる歴史で、何とも言えない親近感をこのモルトウィスキーに感じてしまいました。
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