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2025年01月09日19:03

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「一場の夢と消え」(松井 今朝子 著)読了

人形浄瑠璃・歌舞伎作家・近松門左衛門(本名・杉森信盛)の一代記。

歌舞伎に造詣の深い松井今朝子ならではの史実を徹底的に深掘りし、忠実に再現しながらもフィクションとしての想像力と機知に富んだ色気で近松の事績を追う。決して波瀾万丈などとはいえない生真面目で地味な日常を重ねた近松の実像が、存外に現代人の共感を得られるドラマの彩りの中でリアルに描かれる。

越前の武家の出身の信盛は、公家の正親町公通に仕え、その縁で浄瑠璃作家の道を歩み始める。当時の公家は、その教養ゆえに台本制作を手助けし、あるいはそのものを執筆者となることがあった。作家としてその名が世にでることはなかったからだ。

その信盛が、正親町公の妹君の侍女と不義の恋仲になって出奔することになる。路頭に迷うはめになった信盛は生活の糧を稼ぐために浄瑠璃や歌舞伎界に生きることになる。正親町公の妹にもほのかな憧れを持つ信盛。その妹君とは、後に柳沢吉保の側室・町子のことである。

こんな色っぽい奔放な青春時代の信盛だが、性格はいたって真面目。熟年を迎えるまでは妻子を養育することに必死。妻と姑との不仲に悩まされ、子供の成長を気に病む一介の市井人。こうした史実と虚構の巧みな配合から生まれるドラマと人物像とその心情のリアリティに魅了され共感する。――そういうところが筆者の真骨頂。

当時の浄瑠璃の実情もつぶさに描かれる。太夫中心の語り物だった浄瑠璃は、七五調の語感の心地よい歌謡のようなもので、人形や舞台仕掛けはほんの添えもの。ましてや作家は名前も表に出ることもなく、詞章(台本)も太夫の好みで勝手に変更されてしまう。

それが義太夫(初代)との出会いなどで、次第に近代芸能として成熟していく。古風な物語、説話的なものから、近世的な武勇、英雄談の性格を強めていく。芝居小屋としての集客力を上げるため、耳目を集める心中などのスキャンダルを即席の短い芝居として取り上げることも盛んになり、次第に作家そのものも注目を集めるようになるし、台本そのものなど付随した印刷業も盛んになっていく。「曽根崎心中」「心中天の網島」など、今日では最高傑作と定着した作品もそうした集客のためのキワモノだった。

そういう「史実」面も、ドラマ仕立てでリアルに描かれる。これもまた筆者の独壇場といってもいい。

静かなクライマックスは、「国性爺合戦」だろう。17ヶ月続演を打ち立てた近松の頂点を成す作品。中国人を父に、日本人を母に持つ鄭成功が、韃靼を攻め明朝の再興を目指すという大がかりな物語。歌舞伎としても大ヒット。この演劇を通じて、江戸時代の庶民にも『日本人』という言葉が大流行――近代国民国家の意識が広まったというわけだ。

同時にこの三段目でブレークしたのが初代竹本政太夫。この新作上演そのものが初代義太夫没後の危機の打開のためだったから、その精緻な語りの才を見抜き長年目に掛けてきた信盛も本懐を遂げたといってよい。政太夫は、小声でなかなか芽が出ず、本人も小声を気に病んで萎縮していたのを、「命を削れ」と叱咤激励し、大当たりを引き出したのは信盛本人だったからだ。

今日、「国性爺合戦」はそれほどポピュラーな作品ではない。演じられても三段目など一部に過ぎず、荒事の得意な團十郎代々の「紅流し」が知られるのみ。同じように晩年期の「女殺油地獄」も当時はあまりにも殺伐としていて不人気に終わったという。これが復活したのは、明治になってから坪内逍遙が発掘してからで、先ず歌舞伎で上演され、文楽での復活は昭和27年(1952年)のことになる。そのことはまったく知らなかった。

この辺りの晩年期の近松も、淡々としかも味よく描くのは、さすが筆者ならでは。

文楽、歌舞伎ファンにはきっと面白い。それなりの教養がないと、ちょっと読み進むのにつらいところがあるかもしれない。





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一場の夢と消え
松井 今朝子 (著)
文藝春秋
2024年8月30日第一刷
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