マリオ・ヘリングは、ドイツ人。両親ともにヴァイオリニストですが、母親は日本人。日本語でのトークは緊張するとのことだがとても流ちょうな日本語なのでびっくり。
すでに何度か来日していて日本の聴衆にはおなじみのようだけれど、リーズ国際ピアノ・コンクール第2位に輝くなどキャリアも十分の俊英。正統なピアニズムは、実際に聴いてみても端正かつ高い技巧で、バドゥラ=スコダが絶賛というキャッチもなるほどと思う。
前半も尻上がりに調子を上げていき、リストのメフィスト・ワルツの超絶技巧も輝かしい高域への跳躍も、「イゾルデの愛の死」の和音の厚みも十分。スクリャービン、は短い曲だけれど、リストとともに「弾ける」ことを十分に証明していた。
後半のベートーヴェンがとてもよかった。
6番のソナタというのは、緩徐楽章のない3楽章構成で軽く見られがち。ウィーン時代初期の作品で音楽の都ウィーンの憧憬に満ちていて駆け抜けるような明朗な曲。ヘ長調というのは、同じ作品番号の第5番ハ短調とは、まるで「運命」と「田園」のような関係。ポリーニなどは、ハ短調の「悲愴」と組み合わせているが、それでもベートーヴェン的な覇気を強調する演奏。ヘリングの演奏は、むしろ、ウィーンの現世肯定的な気風があって、まさに自然あふれるウィーン郊外の田園のように優しい。
最後は、ヴァイオリニストの石上真由子がゲストとして共演という、ちょっとうれしい異例のプログラム。
この「スプリング・ソナタ」が、いままでなかなか聴けなかったほどに均整美と多幸感に満ちたもので出色の演奏だった。
ヴァイオリンソナタとは言うけれど、ピアノとヴァイオリンのためのソナタというのが本題で、二つの楽器はとても対等。時には、モーツァルトのように、ヴァイオリンの伴奏付ピアノソナタといってもよいようなところも多い。それは、第一楽章冒頭で、まずヴァイオリンが優美な主題を奏でるとすぐにピアノがとって代わりヴァイオリンがシンプルなアルペジオのオブリガートを始めるところにさっそく現れる。石上の一歩下がる助奏のさりげなさ。そして、そこから浮かび上がるヘリングのピアノの優美な旋律は、ただもうそれだけで幸せになれる。
石上は、ヘリングの音楽は「吸い寄せられるような魅力」にあると持ち上げている。それはその通りだと思う。押し出してくるというのではなく、やさしく受け止める魅力に自然と心が吸い寄せられる。そこに、憧憬のような相手へのリスペクトがあるから、その音楽には明朗で活き活きとした思いやりを感じさせる。
そう思うと、この夜のプログラムはすべて「憧憬」ということで一貫しているという気がする。最初のドビュッシーが、ちょっと緊張していたのか少し落ち着きがなかった。「喜びの島」は、文字通り情熱的な喜びが爆発するというように弾かれることが多いから、それを冒頭に弾くのは難しいけれど、多少ヘリングのはにかみも加わっていたのかもしれない。そこにこそ、むしろ、ヘリングの演奏の美質が隠されていたのかもしれない。
とにかく、こんなに「春」を聴いて幸せになれたのは久しぶり。
第552回日経ミューズサロン
マリオ・ヘリング ピアノ・リサイタル
2024年11月25日(月)18:30〜
東京・大手町 日経ホール
(N列24番)
マリオ・ヘリング(ピアノ)
ドビュッシー/喜びの島
アラベスク 第1番 ホ長調
リスト/メフィスト・ワルツ 第1番「村の居酒屋での踊り」 S.514
ワーグナー=リスト/イゾルデの愛の死
スクリャービン/「ピアノ・ソナタ 第5番 作品53」
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ 第6番ヘ長調
ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 第5番ヘ長調「春」*
(アンコール)
クライスラー/愛の喜び*
*ゲスト:石上真由子
ログインしてコメントを確認・投稿する