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2024年10月26日15:21

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立体音場再生は響きから (ベテラン氏の感想で気づく その2)

遠来のお客さんをお迎えするにあたって、UNICORNさんに事前のご感想とご意見をいただいたというお話しの続きです。

ここのところ立体音場再生というテーマで取り組んでいて、今回のお客さまもそういうテーマをめぐってのご縁でもあり、事前に立体音場再生をテーマとしてお聴きいただくということを申し上げていました。

立体音場再生といえば、やはりどうしてもデジタル、しかもかなり新時代のハイレゾ録音が中心となります。そのなかでちょっと異質のソフトを取り上げることに、ある意味で意気込みと躊躇とが相半ばするものがありました。

フォト


それは、アート・ペッパーの「ミーツ・ザ・リズムセクション」。

先だって、同じPCオーディオを組んだ横浜のvafanさんに聴かされて、その生々しいペッパーのアルトに魅せられて、あわてふためき聴き直していたというわけです。PCオーディオなので、当然、音源はデジタルリマスターのCDリッピングということになります。

アナログ再生が一段落したところで、これを聴いていただきました。

UNICORNさんのご感想は…やっぱり否定的。

『ステレオの立体音場再生になっていない』とのこと。

例え、左右泣き別れ、中抜けの録音再生であっても、情報量が格段に改善すれば、ある種モノラルに宿る立体音場は感じてもらえるだろうという期待は、ものの見事に否定されてしまいました。

やはり、オリジナル盤の立体音場再生を規範として耳に染みついているひとには、そういう書生っぽい議論は通じないようです。酒の勢いもあって、いろいろと議論を挑みましたが跳ね返されました。冷静になって考えてみると、自分自身、かつて仙台遠征の折に見事なオリジナル盤の再生を聴いていて、その時の感想からすれば、それとは明らかに違うもので立体音場再生を語るのはあまりにも矛盾が大きすぎると悟ったからです。翌日、二日酔いのもうろうとした頭で聴き直してみて、即刻、プログラムから外しました。

それでは、録音エンジニアのロイ・デュナンは、どうやって立体音場を再現したのか?

ロイ・デュナンは、実のところごくありのままに録音していて、リヴァーブなどの加工はカッティングの際に行っていました。保存されたマザーテープの箱には、カッティング時の調整の詳細が彼自身のメモしたものとして残されているそうです。そのロイが自分の思い通りにカッティングしたのは、オリジナル初出盤のみ。その後は、レコード会社のプロデューサーの意向で変えられてしまうのです。特に、当時、普及し始めた一般家庭のハイファイセットでステレオ感を誇示するために、左右の分離をことさらに強調したものが広まってしまうことになるのです。厳重に保管されたマザーテープが残ったおかげで、復刻は可能なのですが、ロイ・デュナンの意図を再現するのはとても難しい。そのことが、このオリジナル盤が珍重されるゆえんとなっているというわけです。

そこから推測されるのは、再版や後世の復刻ではむしろ左右の分離を強調しているということ。UNICORNさんの説は、デュナンは、むしろ、左右をミックスさせているのではないかということ。当時のマイクの性能制約(指向性や感度など)からマイクセッティングでは妥協せざるを得なかった原録音をカッティング時に巧みに左右をクロスさせることで補正したというわけです。録音現場を知っているからこそ可能な職人技というわけです。

逆に、再販や復刻では、特に左手のペッパーのアルトの実在感を強調したいがために、左右の回り込む音をイコライザーなどでむしろ削り取ったのではないか?というのが、私の推測です。そのために左右チャネルに共通して捉えられていた付帯音がかき消されてしまった。共通する高域寄りのスペクトラムや同相成分が喪われてしまったということです。この私の推測は、UNICORNさんのひと言――『シンバルに本来のキレがない。オリジナルとはそこも違う』に気づかされたもの。

部屋の調音グッズの過剰――特に中高域の吸音――というのは、部屋の共通的な付帯音を消してしまい左右のマトリックス的な作用も削り取って、徒に左右の分離を強調してしまうこと。ロイ・デュナンとは逆のことをやってしまっていることと同じなのです。

録音やマスタリングのモニターも、無響室のような部屋ではなくてほぼ通常の部屋に近い環境で行われます。ヘッドセットは、検聴のような場合に限られます。要は、部屋というものの響きとある程度協調しながら立体音場再生を創り上げている。それは、リスナー側の標準的な再生環境を想定しているからなのです。

調音の目的は、部屋の音響的なクセを取り除き、可能な限りフラットにすることで、部屋のどこで聴いても同じように聞こえるような平準化にあります。けれども、かといって、やり過ぎれば録音情報をもこそぎ落とし、部屋の響きから再生音と融和し協調している部分まで削り取ってしまう。調音には、ギリギリ、寸止めみたいな慎重さが必要ということではないでしょうか。

ロイ・デュナンの名録音をめぐっての議論を経て初めて覚醒した新たな認識でした。
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