「光源氏」の世界をまずは知っておきたい、何かすぐに読める本はないか、という向きにも絶好の書です。
和歌というと、かえって尻込みしてしまう…かもしれませんが、ところがどっこい、「光源氏」入門に絶好の書です。
著者は、津田塾大学教授。古典文学だけではなく、現代小説や短歌の評論など多方面で活躍する日本文学研究者。
長大な「源氏物語」には、登場人物の詠んだ七九五首もの和歌が現れる。「源氏物語」は、まずもって歌物語として書きつづられ、同時代の平安貴族に愛読され後々に伝えられてきた。
本書は、その全五十四帖のそれぞれから二、三首を厳選し、全巻百首の和歌を鑑賞しつつ物語をたどっていくというもの。全三部に分けて、律儀にそれぞれのあらすじが手短にしかも丁寧に語られています。
そのあらすじに目を通すだけで物語に気持ちが入っていける。現代語訳を読むことではかえって円滑ではなかった「源氏物語」理解が楽に進みます。
その分、和歌の鑑賞に想いを致すことができる。そうやって筋立てをさらりと頭に入れて、濃密な情感を秘めた和歌のやり取りにじっくりと目を通すと、なるほど、「源氏物語」が、海外からも《奇跡》と評価されていることもわかるような気がしてきます。
こんな古い時代に人間の一人ひとりの自意識と心理を細やかに描写していることは、西洋近代文学に至るまではなかったはずです。千年も昔に書かれたものとは信じられない。
特に、最後の「宇治十帖」はまるで執筆者が違うかのように筆致が変わります。経済的な不安に苛まされ気の進まぬ婚姻に気を病む男女たち、そのわずかな心の隙間ともつれから生じた思わぬ不倫の三角関係といった展開は、まるで現代の不条理なドラマでも見るかのようで、その中で語られる濃密な情感に引き込まれていきます。
こうやって和歌を中心とした「源氏」読解の追体験をすると、叙事的な「物語」からの飛躍が見えてくる気がします。平安の人々にとっても、漢文に代表される感情を押し殺したような《書き言葉》は、政治的、官僚的な建前に過ぎなかった。それだけに和歌というものは、赤裸々な本音を滲ませるオーラルな感情表現の手段となっていたのではないでしょうか。
登場人物の詠む和歌こそが、叙事的な地の文では表現しきれない、生々しい感情に踏み込んだ心理描写を担っている。和歌を通じて、いわゆる「むかし物語」という《お話し(ストーリー)》にとどまらず、近現代文学に通ずるような心理劇へと飛躍していく。そういう文学的な奇跡をもたらしたのが「和歌」だったのではないかとさえ思えてきます。
五十四帖に順ってきっちりと章立てされていること、その筋立てや登場人物の平易な要約、各章を象徴する和歌の厳選ということで、「源氏物語」の簡便な索引としても重宝しそうな好著だと思います。
百首でよむ「源氏物語」
和歌でたどる五十四帖
木村 朗子 (著)
平凡社新書 (1045)
2023/12/15 初版第一刷
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