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2024年02月08日11:21

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空間表現の極致 (京都人さん宅訪問記 後編)

京都人さんの奥の院、メインルームに通されてさっそく音出し。

その途端にあっと驚き…

…というよりも、その空間表現の素晴らしさに思わず声を出してしまうほど嬉しくなってしまいました。

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こちらはキソアコースティックのHB-1Xを中心としたセットで、アンプとCDプレーヤーは、まったくサブルームと同じオールSOULE NOTEです。

サブルームのGermanとは違って、スピーカーの幅の間に縮こまっていたステージ空間が、ぱっと広い部屋全体に拡がって響く。個々のミュージシャンやオーケストラのパートの像がホログラフィックに林立する。生の音楽会場へのワープ感というのはまさにこのことでしょう。暗がりということもあって、スピーカーのことなどは当初はまったく意識の外でした。

ここでも、次から次へと様々なソフトを再生されます。その場では、ソフトの特定はできませんでしたので、以下は記憶と推測だけが頼りの感想ですが…

パーカッションだけでの「カルメン組曲」。

――これはなかなか面白かった。マリンバはともすれば共鳴の低域を強調しがちですが、とてもナチュラルな音色バランス。サブウーファーをお使いですが、20Hzに限定していて耳では鳴っていると聞こえないそうです。センターだけでなく右側の席も勧められていろいろ移動してみましたが、左側に行こうとすると「そっちは音が良くないですから」と止められてしまいました。なるほど、左は、音場の違いがわからないのですが、ハイハットとかトライアングルなどは微妙に音が曇ります。

MJQの「ジャンゴ」のリアルさにも感動しました。

――60年代初めのジャズの初期ステレオ録音は、概ね左右振り分け+センターの「三点ステレオ」が多いのですが、これはちょっとぶっ飛びの立体ステージ。よく聴くとライブ録音――最後には拍手とともに曲紹介の肉声まで入っている。こういう立体音場で捉えるのは、ヨーロッパ録音が多いので、おそらくこれはMJQのヨーロッパツアーのライブ録音でしょう。これだけ再生側の空間表現ができていると、現場でのミキサーがコンソールで操作していることまで見えてきてしまいます。

ディスクを交換するたびに、京都人さんが私の目の前を横切るのですが、目をつぶっているとその往来がまったくわかりません。一般的なレベルのセッティングでは、スピーカーとリスナーの間に人が入るとその影で再生音場が歪むので、前を横切るその気配がわかってしまいます。ところが、セッティングが完璧で焦点が合っていると、少しも空間が歪みません。不思議に思えますが、これは空間合成がちゃんとできている証拠なのです。

素人録音みたいなものでしょうか、野原でギター一本+ボーカルというのが面白かった。

――西岡恭蔵の『プカプカ』をカバーしたものですが、その女性ボーカルが絵はがきを額縁に入れてぺったり貼り付けたみたいで、聴きようによってはちょっと滑稽なほどに朴訥。おそらくボーカルをXYステレオの単一指向性マイクで収録したのでしょう。そのボーカルとアンビエンスとの空間がてんでバラバラなのです。こういう録音は、プロであってもままあって、一時期、オーディオファイルにもてはやされた井筒香奈江の一連の録音の初期もそうでした。そういうことをさらけ出すほどの空間描写力です。

しかもスケール感が素晴らしい。

スピーカーはバベルの上に載せられています。その効果なのでしょう、滲みもなく、大編成のオーケストラやコーラスでも屈託の無いサウンドです。バベルとサイズがびったりでおあつらえ向きなのには笑ってしまうほど。スピーカーの底板の響きを殺してしまうので、こういうセッティングは良くないと思っているのですが、HB-1は底部にネットワーク等を設置していて底部はむしろリジッドになっているので、例外的に相性が良いはず。そのことは予期していましたが、想定以上の組み合わせの良さです。

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横にはスーパーツィターのKITHITがお約束のようにセットされています。ちょっと見慣れたものと違うのでカスタムメイドなのでしょうか。セッティングは厳密なんですか?と聞くと、「シビアです」ときっぱり。確かに、これも存在感をほとんど感じさせません。

唯一、CDケースをまじまじと見に席を離れたのは、フィッシャー=ディスカウのマーラー。部屋が暗いので結局よくわかりませんでしたが。

つまり、ディスカウのモノラル録音でマーラーがあったことを知らなかったわけですが、後で調べてみると、オケは、フルトヴェングラー指揮のフィルハーモニア管のようです。近年、EMI(ワーナーミュージック)がデジタルマスタリングで復刻したもの。

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さて、そのモノラル録音。

左右が無いだけで音像のふっくらとした立体感を感じさせます。私も、モノラルであっても左右スピーカーによる2ch再生派です。モノラルはモノラルだからとスピーカー1本再生を主張される方もおられますが、やはりこういうアコースティックは2chでなければ出せませんし、モノラルでも出るものは出るのだから出した方が良いと、私は思うからです。

わざわざCDケースを見に行ったのは、ディスカウだと確認したかったこともありますが、オーケストラに揺らぎや不安定なところがあることも気になったからです。モノラル時代はほとんどがセッション録音。フルトヴェングラーは神話化されていて誤解がまかり通っていますが、セッション録音では見事なまでの構成力を見せてオーケストラを悠然とコントロールして曖昧さはありません。それでこのマーラーの不安定さが気になったのです。やはり、ナチ協力の疑いがようやく晴れて復帰したばかりの晩年のフルトヴェングラーにとって、不慣れなマーラーで、しかも戦勝国のオケが相手では、持ち前のカリスマ的な霊感で支配するのは難しかったのでしょうか。それにしてもディスカウの素晴らしいこと。

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持参のCDということで、かけていただいたのはアラウの「皇帝」。

録音会場のドレスデンのルーカス教会の空間形状が見事に出ていました。この録音は高さの再現が難しい。オーディオで高さというと、天井まで届くとか、高さが足りないとかばかりが言われがちですが、高さだってあくまでも相対的なものが大事。ボーカルだけぽっかり頭上はるか上にいってしまっても不自然ですし、金管楽器ばかりが上方に浮いてもおかしい。トゥッティでは吹き上げるように響いてほしいけど、手前の弦楽パートが静かに演奏するところはしっかりフロア感覚があって欲しい。つまり高さということは低さもあるということです。

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天井高の高いホール音響ばかりでなく、アラウのピアノがしっかりとフロアに足を付けて響くところにとても感銘を受けたのです。この会場は聖壇が狭く、衆徒席のベンチを取り払って、弦楽パートやソロピアノは手前の客席と同じフロアに配置して収録しているはずです。その空間的な立体絵図を見事に描写しています。これこそがオーディオの「高さ」だと思いました。

これに気をよくして最後の最後にかけていただいたのが「ホテル・カリフォルニア」。

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これが感動ものでした。

これは、アラウの「皇帝」と違って横幅に際限がない広大な空間が拡がるはず。よくオーディオ好きが喜ぶのは、MTVコンサート盤。ボカボカ鳴らすボンゴの低音がどうとかと喜ばれるようですが、あれはサクラみたいな聴衆を入れてライブ感を作ったスタジオ・ライブ。イーグルス全盛期の1980年のサンタモニカでのこのライブ盤をぜひ聴いてほしい。こちらの方が圧倒的に音数が多くて情報量が問われる。広大なライブ会場を揺るがすライブの熱気が部屋一杯に漲って拡がるその臨場感に思わず快哉の声を上げてしまいました。これこそワープ感覚の極致です。私のようなお茶の間オーディオの壁際スピーカーでは到底出せないライブ感覚で、ほんとうに感動しました。

地震の影響がどれほどあって、短い期間でどれほど修正しきれていたのかは私にはわかりませんが、空間表現にこだわる京都人さんの本領発揮としか私には言いようがありません。サブとは、おそらく地震後の修正の本気度が違っているのだと思いました。

百聞は一見にしかずと言います。時間の限られた突然の訪問で、まだまだいろいろお聞きしたいところはありましたが、ほんとうに勉強になりました。

貴重な体験をさせていただき感謝、感謝です。
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