松永安左エ門は、戦時の1942年、国家総動員法の成立により電力事業が国家管理下におかれると、東邦電力は解散され、電力事業から追われることになります。
松永は、戦後、第二次吉田内閣の下で電気事業再編成審議会の委員長に抜擢されます。日本発送電の設立を進めた官僚たちを「人間のくず」と罵倒した『電力の鬼』の復活でした。
それまで、松永は、志木からほど近い柳瀬川のほとりの山荘にこもり茶道三昧の日々を過ごしていました。
志木駅から志木街道をずっと進み立教大学の新座キャンパスも過ぎて、武蔵野線の高架の交差点を右に曲がり、さらに行くと川越街道と浦和所沢バイパスが交差する巨大なインターチェンジが突然現れます。このバイパスは関越自動車道の所沢バイパスと接続していて、このコロナ感染対策の経済危機下にもかかわらずすさまじい交通量。郊外地の住宅地に突然現れたトラックや商用車の騒音と排気で頭がくらくらします。
このクローバー型のインターチェンジは、柳瀬川の橋も巻き込んでいて複雑怪奇。ここを越えて道路の反対側に歩行者や自転車が渡るのはほとんど絶望的。道路の下をくぐる先の見えない薄暗い細道をパズルを解くようにして行くしかありません。住民の生活を寸断する醜悪極まりない建造物。おぼつかない足取りで歩く何人かの無言の老人とすれ違います。ところどころに「痴漢に注意」のポスターが貼ってあります。
そのインターチェンジやバイパスが荒々しく削り取ったような台地に緑の深い武蔵野の森が残っていることが奇跡のように感じます。幹線道から取り残され、街道からは人道しかつながっていないような墓地の脇道を少し上ると、松永が隠居していた柳瀬山荘が見えてきます。周りはさっきまでの醜悪な現実がまるで嘘であったかのように静かな自然に満ちています。
松永が、在所の大庄屋の住居を譲り受けとこの地に移築したもの。別荘というわけですが、茅葺きのいわば古民家そのもの。庭というよりは武蔵野の自然にそのまま溶け込んだような質素な風情のなかに近代数寄者の風流を好んだ松永の意匠が凝らされていて、江戸期のものを解体再建したという茶室もあります。
この山荘は、戦後、国に寄贈されて、今は東京国立博物館の所管となっています。江戸期の民家様式を伝えるものとして国の重要文化財に指定されています。週に一度は無料公開されているはずですが、ここもご多分に漏れず閉鎖休館となっていました。
ここから大型トラックが列なす川越街道をひたすらに和光市方向に進んでいくと、臨済宗の古刹平林寺があります。
この寺は松永の菩提寺でその墓があります。この中にも、松永の茶室があるということです。飛騨地方の古民家を移築したもので、やはり有形文化財に指定されているとのこと。
ここも残念ながら総門は固く閉じられていて、今は、中にはいっさい入れませんでしたが、周囲をめぐるだけでも武蔵野の自然がそのままに残された広大な深い森に圧倒される思いがしました。
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