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2018年02月06日15:26

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「「さすらい人」ブレンデル」(マルティン・マイヤー著 岡本 和子訳)読了

アルフレート・ブレンデルと音楽ジャーナリストのマルティン・マイヤーの対話録。

「あとがき」にあるように、会話形式で本を出さないかと持ちかけられたのはブレンデルであり、その相手であるマイヤーを選んだのもブレンデルだったので、これはマイヤー著となっていてもブレンデルの自伝であり芸術論である。

対話なので、わかりやすく読みやすいけれど、決して易しい本ではない。個人的にも、読了後、感想をまとめるまでにはしばらく考えを落ち着かせる時間が必要だった。

ブレンデルは無類の文筆・評論好きであり、現に引退後の今も欧州各地で講演やコンサートのプレ・トークなどで健在ぶりを発揮している。そのブレンデルが、一方的に語り綴るのではなく、マイヤーという一級の音楽評論家の問いかけに応える形で自らの音楽人生を振り返り、リストやベートーヴェンなどの音楽論を論じ、演奏解釈について語っている。話し言葉なので難しい言い回しは皆無。

その反面、マイヤーの問いかけに「否」と返す場面も多々あって、その弁論に曲折もあるので、ブレンデル自身の真意がとりにくいことも多い。対談録に特有のごつごつした難しさや散漫さがあることも否めないが、クロニカルに整った回想録や体系だった評論とは違った面白さがある。

ブレンデルは、ピアニズムの王道を歩んだ巨匠であり、ウィーン古典派からドイツロマン派を中心とした中央ヨーロッパの正統音楽をレパートリーの中心に据えたピアニストというイメージがある。一方では、レジェンド(「伝説」性)に乏しく、中庸で面白みに欠けるという印象がある。《ショパン弾き》といった専門性にも乏しい。

ところが意外だけれども、『60年代、70年代初頭の落ち着きのないピアニストというイメージ。フィリップスでの録音とともに、一夜にしてというべきか、瞬く間に世界的なスターになった』のは、すでに40歳代になった頃で、むしろ遅咲きのピアニスト。若い頃にアメリカのVOXなどに膨大な録音も残していて、そのモノラル録音盤にはストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」やムソルグスキーの「展覧会の絵」、バラキレフなど、当時は異様・異形と受け止められていたピアノ作品が並んでいる。決して楽界の本流にいたわけではなかった。

そのブレンデルが、「理想的」な音楽家として上げるのが、リストとブゾーニ。

『個人的には音楽以外の芸術にも興味があり、書物を読み、言葉を繰って何かを表現するのが昔から好きな』ブレンデルは、自然と『文筆家であり、作曲家でもあった』リストとブゾーニに魅了されたのかもしれないと言う。

まさに、作曲、演奏両面でピアノ技法の根幹を成すのがリストであり、新古典主義を唱え二十世紀ピアニズムの源流であるのがブゾーニなのだが、あの当時、どちらもそういう風に取り上げられていたわけではない。リストのピアノ曲もブゾーニの曲も、技巧的な難曲であり、その技巧はもっぱら派手な演奏効果のためであって、技巧派ピアニストにとっては格好のサーカス小屋であった。ピアノの学習者やプロもどきにとっては、多少の技術が不足した駄演であっても、周囲の聴き手に対してちょっとした自慢気なドヤ顔で納得させられるピアノピースだった。しかし、ブレンデルは、リストに早くから目覚め、若い頃から一貫して擁護し、リストにつきまとった通俗なヴィルティオージティのベールを剥ぎ取り、ある種の聖域、聖壇のようなものを築き上げてきた。

その規範のように取り上げているのが、50年代のケンプの演奏。

ケンプは初めてリストの宗教伝説をテーマとしたピアノ曲の真っ当な音楽性に光を当てて演奏した。そんな面から一定の優れた録音を残したことを、ブレンデルは非常に高く評価し激賞したに違いない。一方で、ブレンデルが激賞したとはいえ、当時のケンプの技量は現代の基準からすれば決して驚くほどのものではなく、実際にミスも多少は目立っている。ましてや、1974年の再録音では、音楽全体の流れも以前よりはやや停滞を感じさせる緩やかな演奏である。とすると、ブレンデルが指している「ほとんどミスなしに」という言葉は、ケンプの演奏にはリスト本来の意図や、求めていたピアノ技法に於いて、ほとんど解釈上のミスらしいミスが無い、そんな正当かつ真っ当な規範的演奏である…と言いたかったのであろう。私にはブレンデルのケンプへの褒め言葉は、このような意味合いに映るのである。

逆に、グレン・グールドには容赦ない。

ピアニスト(音楽家)の流儀にはふた通りあって、ひとつは『何としても聴衆を驚かせなくてはならない、たとえ作曲家の意図に反しても意外なことをしたいという演奏家』がいて、その典型がグールドだという。グールドの極端な演奏解釈がもてはやされ、そのモーツァルトやベートーヴェン演奏が聴くものの眉をひそめさせる一方で、その新奇なバッハ解釈が後々ひどく神格化され亜流を生み続けることに我慢がならないのだろう。もっとも、一方では『譜面に書かれていることしか弾かないという姿勢の演奏家』がいると、リヒテルにもその矛先を向けている。そのどちらの要素もバランスよく必要なのだということだろう。

ひと筋縄ではいかないブレンデルのやや極端な言い分だけれど、ピアニスト以外の演奏家についての批評はなかなか面白い。フルトヴェングラー、ワルター、クレンペラーあたりの寸評には、読んでいて、思わずニンマリしてしまう。また、テンポ論や感情移入のあり方などの演奏論はさすがに巨匠演奏家の談として具体的で鋭く、聴き手にとっても深みのある音楽観を展開している。

オーディオ(録音芸術)にも卓見を示しており、50年代のケンプを激賞しながら、そのデッカ録音も『音響技術的に私が知る最高の内容』と賛美する。その基準のひとつとして『三次元的な音の拡がりの自然さ』に焦点を当てているのはさすがだと思う。

ブレンデルは、引退後のいまはかつてのような人気は衰えていささか埋没しているように見える。それはブレンデルがあまりにも一定期間に商業的成功が集中してその軌跡が見えにくく、あまりにもその演奏解釈が正統で中庸だからなのだろう。しかし、彼がしばしば理想のピアニストとして取り上げるフィッシャーやコルトーのように、死して再びその音楽性に対する名声が静かに浸透してくる…というタイプの音楽家なのかもしれない。



対話録「さすらい人」ブレンデル
 リストからモーツァルトへの道程

マルティン マイヤー著 岡本 和子訳
音楽之友社
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