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2021年12月30日23:06

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今年最後のコンサート (田部京子リサイタル)

私の今年のコンサートの〆は、田部京子さんのリサイタル。

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モーツァルト、ブラームスの最晩年の作品が続き、そして、シューベルトの最後のピアノソナタD960で締めくくる。年末最後にこの一年を振り返るのにふさわしいプログラム。

最初のモーツァルトはとても平明。翳りや曇りがなくて、それが田部さんのモーツァルト。簡素なようでいて稚気に富んでいる。奔放のようでいて純真無垢。

ブラームスの6つの小品は、激しくて切ない。心の嵐が襲うような激情の表白から始まります。右手の下降音型と左手の下から湧き上がるようなアルペジオが激しくぶつかり合う。回顧的な二曲目から三曲目は再び気持ちが高ぶる。そういう感情の起伏の交代が次第に諦念へと収れんしていく。冒頭の左手の激しく割れ気味だった低域も次第に落ち着いていきました。

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シューベルトの最後のソナタ。田部さんは、すでにデビュー3枚目のCDでこの曲を弾いています。何年か前にNHKのTVドラマ「夏目漱石の妻」でもこの曲の第一楽章が効果的に使われていて、田部さんはそのために録りなおしている。デビュー20周年を記念するリサイタルでも取り上げていました。

節目節目にこの曲が取り上げられているのですが、この日の演奏が今まで一番感銘を受けました。死の年に書かれた最後のソナタ…と言われると、弾く方も聴く方もどこか構えてしまいそうですが、こちらもそういう憑きものが落ちたのでしょうか、素直に心に入ってくる。

あの不気味な低いトリルがとても重い。この曲のために、もしかして、そういう低音に調律していたのでしょうか。それでも、その低い音以外は音色はむしろパステルカラーのように明快で暖かい。シューベルトのソナタはとても長い。それは、主題というパーツが大きいから。それだけでひとつの完結した歌曲のよう。小さい断片的な動機を機動的・構造的に駆使するベートーヴェンの完璧さとはほど遠い冗長さの魅力が、このソナタの第一楽章に結晶している。提示部の繰り返しで最初に戻る瞬間に感じる、あのとてつもない懐かしさ。それがようやく展開部に入るときの不思議な浮遊感に連なっていきます。

第二楽章は、とても孤独。それは孤立や疎外という厳しいものではなくて、むしろ瞑想的。だから懐かしさと人恋しさにあふれた回想に移ろい、やがて憧れとなって昇華していきます。この第二楽章は何度聴いても美しい。

残された二つの楽章は、このソナタがウィーン古典派の形式を継承しているという自己証明のようなもの。あの未完成交響曲のように初めの二楽章だけで曲は完結してもよいような気がしますが、やはり第三楽章が始まると、ある種の仕切り直しのような感覚があってとても気持ちがくつろぎます。田部さんのピアノもそういう均衡と解放にあふれた演奏で、すべてが解決する結末に向けて連れて行ってくれました。

素晴らしいシューベルトでした。だから、アンコールの即興曲にはもう一度涙がうるうるしてしまったのです。

今年一年も、いろいろありましたが、これで最後です。そんなコンサートになりました。

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田部京子シューベルト・プラス第8回
田部京子ピアノ・リサイタル
2021年12月20日(日) 14:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階 10列14番)


モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第17番 変ロ長調 K.570
ブラームス:6つの小品 Op.118

シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調 D960 

(アンコール)
シューベルト:即興曲 op.90-3
シューベルト(吉松・田部 共同編曲):アヴェ・マリア

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