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2019年10月02日18:52

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エウゲニー・オネーギン (新国立劇場)

先月の松本での公演に続いて2回目の「エウゲニー・オネーギン」。

どうしても両者を比較してしまいたくなるけれど、それはできるだけ控えたい。ひとつだけ違いを言えば、あちらは「エフゲニー・オネーギン」という標記だった。

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演出は、とても正統的。舞台も衣装も具象的でその分、歌劇らしい豪華さがある。幕開けは、ロシアの田舎の地主屋敷の前庭で始まる。場の転換では、ひとつひとつ幕が下りて演奏も休止となる。その度に客席からは一幕が下りたかのように律儀な拍手が起こる。そういう雰囲気にどこか後進的な雰囲気が漂い、こんなに保守的で伝統を踏襲するような地味な演出では「新制作」の意味もないと、少しく不満がつのる。

ところが劇が進むにつれ、この演出の新鮮さに目が醒める思いがしてくるのが不思議だ。

物語の変転がつかみやすく、演技や歌詞の細部の意味合いが胸に染み入るように入り込んでくる。舞台も写実的で説明的だが、幕開けに登場した屋敷のファサードが一貫して舞台中心に置かれていて、この歌劇の穏やかな物語の起伏と一貫性を両立させていて、よく出来ている。安易な抽象化や寓話的置き換えへの痛烈なカウンターであり、ロシア近代演劇のリアリズム文芸への理解と洞察を感じさせる。

ピットのアンドリー・ユルケヴィチ/東フィルも、ひとりひとりの技量は凡庸かもしれないが不思議とチャイコフスキーらしい管弦楽の綾と旋律の魅力が浮き上がってくる。狭いピットにコントラバスを6台も投入した低域の厚みも真摯で誠実味にあふれていて、幕の進行とともにその熱のこもった強健なアンサンブルに魅了された。

タイトルロールのワシリー・ラデュークがよい。第一幕や第二幕では、ニヒルな偽悪や高慢な薄情には欠けたが、第三幕では身もだえるような歌唱力を発揮。日本にはすでにボリショイオペラ公演でこの役を勤めているが演技力さえあれば魅力的なバリトンだ。

タチヤーナのエフゲニア・ムラーヴェワは、この春にスカラ座の「コヴァンシチーナ」で観たばかり。アンドレイにつきまとわれるルター派教徒エンマ役で出番が少なくてもったいないほどだったが、こうして主役として堪能できた。「手紙の場」は少々不完全燃焼気味だったが初日のせいだろうか。第三幕ではラデュークとの二重唱でともに大いに燃え上がった。

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レンスキーのパーヴェル・コルガーティンは、声が軽く、せっかくの『輝かしい青春の日々』も、チャイコフスキー畢竟の甘美さに不足した。

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素晴らしかったのがグレーミン公爵のアレクセイ・ティホミーロフ。ロシア伝統のバスの魅力で痺れさせた。『恋は年齢を問わぬもの』で劇は一変してしまう。棒立ちのオネーギンの敗北が露わになり、惨めな狂乱へと堕ちていく。まさに舞台そのものがその歌唱ひとつで大転換する。歌唱力というものはそういうものだろう。

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もうひとつ称賛に値するのは、いつものことながら新国立劇場合唱団。第三幕のサンクトペテルブルクの大舞踏会の場面では、大ポロネーズの群舞と合唱を一糸乱れず演じ切ったのは見事。


以下は、蛇足。

新国立劇場も英語字幕が日本語と並列表示されるようになった。いよいよ日本のオペラハウスも世界トップレベルに比肩し、アジアを中心としたインバウンドを呼び込む意気込みだろう。けれども、その英語訳があまりに粗略なことに少々呆れた。改善を望みたい。

この夜は、秋篠宮ご夫妻が臨席された。そういう名誉に十分値する上演内容だったと思う。
 
 
 
 
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新国立劇場
チャイコフスキー:「エウゲニー・オネーギン」

2019年10月1日 18:30
東京・初台 新国立劇場 オペラハウス
(1階7列20番)

出演 
タチヤーナ:エフゲニア・ムラーヴェワ
オネーギン:ワシリー・ラデューク
レンスキー:パーヴェル・コルガーティン
オリガ:鳥木弥生
グレーミン公爵:アレクセイ・ティホミーロフ
ラーリナ:森山京子
フィリッピエヴナ:竹本節子
ザレツキー:成田博之
トリケ:升島唯博
隊長:細岡雅哉
合唱指揮:三澤洋史
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

指揮:アンドリー・ユルケヴィチ
演出:ドミトリー・ベルトマン
美術:イゴール・ネジニー
衣裳:タチアーナ・トゥルビエワ
照明:デニス・エニュコフ
振付:エドワルド・スミルノフ
演出助手:ガリーナ・ティマコーワ
舞台監督:�盒蕎飴�

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