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2018年08月05日14:39

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「蜜蜂と遠雷」――コンクールからの贈り物 (久末 航 ピアノリサイタル)

若手や新進気鋭の新人の登竜門である紀尾井ホールの「明日への扉」シリーズ。

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このリサイタルシリーズのことについては何度も書いてきました。ここに登場する若手は、様々。まだ本格的なデビュー前の学生から、すでにメジャーレーベルでCDデビューを果たしてしまっている気鋭の新人まで、そのキャリアにはバラエティがあります。

というのも、若手はあっという間に成長していきます。注目して選考してスケジュールを押さえてからの1年やそこらの間に、国内外の大きなコンクールで入賞しあれよあれよという間に華々しい活躍を始めてしまうこともしばしばだからです。特に最近は、秘蔵っ子のままの無名の音大生…という若手はほとんど登場せず、大体がメジャーコンクールでそうそうたる戦歴を踏んだという新人ばかりになってきました。

メジャーデビュー前、コンクール直後というそういう新人たちは、独自のリサイタル・プログラムが準備できないまま、コンクールでの課題曲をそのままプログラムに持ち込むことがほとんど。さすがに先生のお仕着せのコンクールメニューで登場する初々しい音大生という新人はほとんどいなくなりましたが、どうしてもコンクールの典型的な課題曲を脈絡なく並べるという印象がありました。

ところが、近年のメジャーコンクールというのは大変な進化を遂げていて、プログラム・ビルディングも上位入賞の大きなファクターとなってきているようです。いわば、作曲作品という素材を与えられ、そこから選択してコースを組み立て、調理法や盛り付けの独創性と完成度を競うというキッチン・スタジアムのような様相になっている。新人といえどもプログラム・ビルディングの訓練は十分に積んでしまっている。

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そういう昨今のコンクール事情を知ったのは、直木賞受賞の『蜜蜂と遠雷』を読んでからのこと。

ピアノコンクールを舞台にした青春群像を描いたこの小説は、3年に1度、開催される浜松国際ピアノコンクールを3回9年にわたって徹底的に取材して執筆されたものだそうです。小説としてのできばえはさておき、コンクール事情を詳細に、かつ、実にリアルに描き出していて、ちょっとしたドキュメンタリーかと錯覚するほど。

巻頭には“第6回芳ヶ江国際ピアノコンクール”の課題曲が提示されています。

それによると

(第一次予選)
(1)バッハ:平均律クラヴィール曲集より1曲
(2)ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンのソナタより第1楽章
(3)ロマン派の作曲家の作品より1曲

(第二次予選)
(1)ショパン、リスト、ドビュッシー、スクリャービン、ラフマニノフ、バルトーク、ストラヴィンスキーの練習曲より2曲
(2)シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、フランク、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、ストラヴィンスキーの作品より1曲ないし数曲
(3)コンクールのために作曲された新委嘱作品

(第三次予選)
演奏時間60分を限度とし、各自自由にリサイタルを構成する

(本戦)
ピアノ協奏曲(対象曲リストあり)

となっています。

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久末航のこの日のプログラムは、ほとんどこのパターンでどんぴしゃ。おそらくコンクール挑戦のプログラムから選択したもの。コンクール入賞記念リサイタルと言っても過言ではないでしょう。

最初のトッカータは、単調で退屈した。バッハの7曲のトッカータのなかでもオルガン的な性格が強いせいもあるかもしれないのですが、ピアノで弾くときのバッハらしい鮮やかな触感に乏しい。二曲目のハイドンも、スカルラッティ的な歯切れのよさは出ているけれども、様式の厳格さと、逆に、そこから少しだけ逸脱するような遊びのようなものが薄い。それに較べるとフランクでは堂々としたピアニズムは感じられました。それでも、ピアノの難曲を弾いているということはあるのですが大聖堂の堂々としたパイプオルガンの響きを連想させるようなきらめくような輝きと深い影が交錯する音色のコントラストが乏しいのです。

総じて、安全運転でミスは無いが単調なのだ。小説「蜜蜂と遠雷」では、第一次予選を勝ち抜くのはある意味で順当な者たちばかり。そこで目立った印象を残すコンテスタントはその後は伸びず、逆にファイナリストとなる上位者たちはこの段階では平凡なのだという。そういう流れそのものの前半でした。

これが後半では、がらりと変わって格段に活気づいて精彩を帯びてきます。

後半最初のカーターは、個人的にあまり好きではない作曲家なので期待していなかったのですが、とても面白かった。十二音技法やその延長の音楽は、断片的で刹那的。高校生の時にシェーンベルクを聴いていたら同級生から「まるで幽霊屋敷の音楽みたい。どこがいいの?」と痛いところを突かれて絶句したことがあります。けれども、久末のカーターはハーモニーがまるでカレイドスコープのように不規則に様相を変えていく。その刹那、刹那がとても美しいとさえ感じさせてくれました。

二曲目のデュサパンは、ミュンヘン国際コンクールの委嘱作品で、久末はその演奏で特別賞を受賞したのだそうです。「蜜蜂と遠雷」でもファイナリストになれなかった高島明石がそういう委嘱作品の演奏で特別賞を受賞し、入賞者同様の栄誉を受ける。コンテスタントとしてはいささか薹(とう)の立っている高島はこれでプロとして続けていく再生の救済を得るのです。久末の演奏は、小説で描かれたコンテスタントたちがそういう新作を弾く場面にあるような霊感とある種の熱気のようなものには乏しいけれど、新作の手の込んだ意匠の織り目やスタミナに満ちた技巧を聴き手に披瀝するプレゼンテーションの魅力が素晴らしかった。

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久末のピアニズムはさらに尻上がりで、ラヴェルの「夜のガスパール」は絶好調。これだけのラヴェルを聴くのは萩原麻未以来のこと。妖気とか狂気という弾き手の心理表現に傾く演奏が多いのですが、もっと映像的で物語りをくっきりと投射するような音楽のうねりがあって、その中でびくともしない冴えた技巧とアジリティが素晴らしい。正面の席で鍵盤上のタッチは見えるのだけれども、列が後ろで遠いせいか指の動きはとらえられない。老化による動体視力の低下なのか、指は鍵盤上を左右にさすっているようにしか見えないほど。

そのことは、アンコールで弾いたリストでも同じ。まさに目にもとまらぬ指の動きから華麗な舞台の情景と四重唱の歌が浮かび上がってきたときには驚くというよりもむしろ楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。

指がよく回るということは間違いなく、超絶技巧を駆使する現代曲にも聴衆とのコミュニケーションを積極的に取り巻き込んでいきながら取り組んでいこうという意欲が感じられて頼もしい限り。コンクール色を脱し、どういうジャンルを持ち味として深化しレパートリーを展開していくのかはまだ予想がつきませんが、とても将来が楽しみな新人だと感じました。

前半よりも後半が面白かったという感想は、同行いただいたマイミクのUNICORNさんも同じ。クラシックファンにとっては現代音楽というのはちょっと敬遠されがちなのですが、名うてのジャズ・フリークであるUNICORNさんにはそういう敷居のようなものがないようです。予想どおり、ジャズファンのほうがはるかにモダンな破調に慣れていて感性が柔軟なんだと思います。暑い夜でしたが、演奏会後は、近くのイタリアンでワインを傾けながら、もっぱらオーディオ論議でした。








紀尾井 明日への扉20
久末 航(ピアノ)

2018年7月31日(火) 19:00
東京・四ッ谷 紀尾井ホール
(1階 14列14番)

J.S.バッハ:トッカータ ニ長調 BWV912
ハイドン:ピアノ・ソナタ 第47番 ロ短調 Hob.XVI/32
フランク:前奏曲、コラールとフーガ ロ短調

カーター:Intermittences
デュサパン:Did it again
(2017年ARDミュンヘン国際音楽コンクール委嘱新作)
ラヴェル:夜のガスパール

(アンコール)
リスト:リゴレットパラフレーズ
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