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2018年06月07日23:38

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「日本軍兵士」(吉田裕著)読了

読むと暗澹たる気分になる。それでも読まなければならないと思う。

310万人に及ぶ犠牲となった日本人。実は、その9割が敗戦必至の状況となった1944年以降の戦争末期を迎えてからの犠牲であるという。

しかも、その多くが戦場での死ではない。戦争初期の1941年の時点ですでに全戦没者のうち約半数が病死者だった。統計が完全ではないので推計だが、絶望的抗戦期に入る1944年以降には、それが7割を超える。しかも、そのほとんどが栄養失調による病死あるいは餓死そのものだったという。加えて、退却時の際の遺棄―正確には自殺誘導、「処置」による死がある。想像を絶する戦争の実態だ。

戦地にたどり着く以前に海没した犠牲者は35万人を超える。その数は、日露戦争における戦没者数8万人と比べるといかにもむなしい「戦死」であることか。海上輸送の実態についてはかつて山本七平が詳述しているが、歴史学として戦史資料に基づいた実証的な叙述にはあらためて先の戦争が、戦争としての実態すら備えていなかったことがよくわかる。

日本軍兵士の実像、あるいは、兵備軍装や食料補給、衛生状態、果ては精神状態や内部虐待の実態などが、そうした実証的な資料発掘によってこれでもかというほどに明らかにされている。敗戦というよりは、嘘と隠蔽にまみれた行政の不作為による国民の虐殺だったとさえ言える。

実は、そういう組織的軍事力の自壊は、日中戦争時にすでに始まっていた。兵力数でいうと太平洋戦争直前の1938年になって陸海軍兵力総数が初めて100万人を超える。それが絶望的末期には700万人まで激増する。そのために徴兵のシステムや徴兵検査基準を変えていて、兵士の体格や体力は急落していく。すでに日中戦争そのものの長期化は、短期決戦を前提に進めてきた軍備の実力を超えていた。そのことは昭和天皇を始め為政者や軍幹部はよく自覚していた。

米国の強硬姿勢は、むしろ、行き詰まっていた日中戦争にけじめをつけるためには渡りに船と言ってもよかったのではないか。その時点では満州傀儡国家でさえ保持できる妥協の余地は欧米列強との間にはあったのだと言われる。ABC包囲網だとかハルノートの最後通牒こそが日本を開戦に追いやったなどと本末転倒のことが言われるが、あの時点で北支以南の大陸から撤兵し中国の主権を承認する外交は十分に選択肢としてあったのだと思う。

政治史的な視点ではなく、戦史的な視点での歴史研究はまだまだ緒についたばかりだというが、こうした実証によって戦争の実態が明らかになり戦争に至る道を顧みるに新たな視野も開けると思う。

なお、本書では「慰安所」についてはほとんど触れられていない。これだけ軍医などによる医療・衛生面での記述資料が掘り起こされているにもかかわらず、軍の関与やその実態に関わる証言資料が無いはずがない。何か「忖度」があったとは思いたくないが、欠損の感が否めない。





日本軍兵士――アジア・太平洋戦争の現実
吉田 裕 著
中公新書
10 10

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