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2017年11月28日17:01

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トンネルを抜けて出てきた貴公子 デジェー・ラーンキ “変ロ長調のコンサート”

久々のトッパンホール。3年ぶりでしょうか。

「アイスショーみたいだった。」

公演を終えてホールを出るときに、GRFさんがぽつりと漏らした感想のひと言でした。一瞬その意とするところがわからず「え?」と聞き返したのですが、すぐにその意味がわかりました。なるほどそういうことだったのかもしれません。

久々にトッパンホールに出向いたのはとにかくデジェー・ラーンキを一度聴いてみたいと思ったからです。ラーンキは私と同い年。かつて、アンドラーシュ・シフ、ゾルタン・コチシュとともにハンガリー・三羽がらすと呼ばれた三人のピアニストの一人です。53年生まれのシフ、52年生まれのコチシュ、そしてラーンキは私と同年の51年生まれ。

三人は、いずれも70年代半ばに初来日を果たし、80年代にはともに人気を博した若手ピアニストでした。シフは今は巨匠の域に入り、コチシュはイヴァン・フィッシャーと共にブダペスト祝祭管弦楽団を設立するなどむしろ指揮者として活躍しましたが病に伏し昨年惜しまれつつ死去しています。シフもコチシュも当時から好きなピアニストでしたが、なぜかラーンキだけはほとんど聴いたことがなかったのです。

聴かなかった理由は全く記憶にないので、たまたますれ違いのように機会を逃したということだと思います。けれども三人の中でも最も人気が高かったのはラーンキです。80年当時には、ツィメルマンとともに「若い女の子たちに騒がれる要素をもった一連のピアニスト」(黒田恭一)とさえ言われていて、日本では特に音楽大学の女学生からの人気は凄まじいものがあり、アイドル並の人気があったそうです。今、三人の当時のCDジャケット写真を並べてみても確かにラーンキのイケメンぶりは抜きん出ています。

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ところがその後は、その消息がぱたりと消えてしまい、私はついに生演奏どころかCDも一枚も持っていません。そのラーンキが数年前から来日公演を復活させ、絶賛を博しているという。それでとても気になっていたというわけです。

プログラムは、“変ロ長調のコンサート”と銘打ち、一見何の脈絡もないようにハイドン、ブラームス、シューベルトと並んでいますが、いずれも変ロ長調だというわけです。ハイドンはソナタを数多く書いていますが、このソナタは珍しい選曲だと思います。恐らく変ロ長調という理由で選ばれたのでしょう。演奏が終わるごとに盛大な拍手が湧き上がり、そこかしこで小声でささやかれるのは、いかにもピアノ演奏に精通した感想で、いつもの会場と違ってピアノ学習者が圧倒的に多いという気がします。

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そういうプログラムビルディングと選曲は、私のような聴くだけのファンにとってはなじみにくいというのが正直な感想です。ハイドンのソナタはどれを聴いても同じに聞こえるというかつての感想が再びこみ上げてきてしまいます。ブラームスの「ヘンデル変奏曲」は、この大作曲家の歴史的傑作とも言われ、中にはバッハの「ゴルトベルク変奏曲」と並ぶ傑作だとさえ言う人もいます。けれども私にはあまりそうは思えません。ブラームスは、30歳代になってから演奏活動中心の生活から作曲に専念するようになりますが、それはこの「ヘンデル変奏曲」を書き上げてからのことになります。実際、この曲を書き上げたことでブラームスはピアノの作曲技術に自信を深めたというようなことを自ら言っています。いかにもブラームスらしい難渋の末に書き上げた労作だとしか思えません。

ラーンキは、この難曲を比較的さらりと余裕をもって弾ききってしまいます。裂帛の気迫みなぎる若きヴィルティオーソというわけでもなく、かといってこのブラームスが練りに練ったピアノの大曲を円熟の才気と深みのあるピアノ技巧で弾くというわけでもありません。素晴らしい技術と賞賛の声も聞こえますが、私には安全運転というようなところを感じさせてしまうのです。

後半は、シューベルト最晩年のピアノソナタ3部作の最後をかざるソナタ。文字通りの傑作で、深い内容に満ちたこの作品を名作中の名作といっても否定するひとは一人もいないでしょう。

ラーンキは、そのロマン派の傑作をまるでハイドンのように弾きます。もちろんシューベルトはハイドンを敬愛し、これらのソナタはハイドンへのオマージュとの気持ちをこめて書いたとされます。けれどもラーンキの演奏を聴いていると、とても古典的。そのいささか潔癖すぎる解釈から受ける響きは、20世紀半ばに主流だった新古典派のスタイルなのだと思います。そういう新古典的、即物主義的なスタイルの本流をなしたのがヴァイオリニストのシゲティであり、ライナー、セル、ショルティらのハンガリー出身の指揮者たちです。

ラーンキは、提示部を繰り返しませんでした。このソナタに秘められた恐ろしいほどの美と深みを再発見したのはリヒテルを始めとするロシアのピアニストたちでした。以来、内田光子であれアファナシエフであれそのとめどもつきない深みを手探りで探り当てるような重い演奏が主流となります。そういう解釈にとって「提示部の繰り返し」は、シューベルトのこの名曲の核心的なことであって、「省略可能な古典的ソナタの繰り返し記号」ではないのです。

ラーンキのD960は、20世紀前半までの“ウィーン伝統の古典派の終焉の最後に小市民的な器楽曲を書いたシューベルト”のいささか冗長なソナタという見方をそのまま踏襲して現代によみがえってきたかのようなシューベルトです。まるで、70年代のアイドルがその時の衣装のまま、タイムトンネルを抜け出てきて現れたかのような演奏。

アイスショーというのは、スポーツの頂点をめざし4回転ジャンプなどの極限技で妍を競ったアイドル選手たちが、現役を退き技術レベルを落としながらも旧来のファンを呼び寄せるプロとして金を稼ぐショーというわけです。観衆もプレーヤーとともに歳をとっていく。そのまま受け取ると手厳しすぎるGRFさんのひと言でしたが、私にはなぜか胸に落ちるものがあったことも確かです。




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デジュー・ラーンキ ピアノリサイタル
“変ロ長調のコンサート”

2017年11月24日(金) 19:00
東京・文京区 トッパンホール
(K列10番)

ハイドン:ピアノ・ソナタ 変ロ長調 Hob.XVI:41
ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ 変ロ長調 op.24

シューベルト:ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D960

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